遠江国説話集345~庄園の松(浜松市浜北区寺島)。 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

遠江国説話集345~庄園の松(浜松市浜北区寺島)。

庄園の松


浜北区役所から東へ、約1・3㌔程行くと、天を突くような、黒松の巨木がある。「庄園の松」である。樹齢五百余年、四方に枝を張って、実に見事な枝ぶり、文部科学省から天然記念物に指定されているのはもとより、樹形樹勢など、日本三大巨松の一つとさえ言われている。

昔のこと。このあたりは、天竜川の沖積による肥沃な土地だけに、その所有者は真剣だった。それでこの南側の羽島の庄と、西側の美園の庄とでは、いつも境界について、争いが起こっていた。

元来当時の庄園というのは、京都の貴族や神社や仏閣の領地なので、領分が小さいだけに、年貢を少しでも多くとするから、境界の争いが起こるのだった。

ある年も、争いが起こって収まらなかった。

「困ったな」

この地を支配している地頭は、出て来て、正しいと思う所に黒松を植え、「この松を境にせよ」と命令して行った。

その松が成長したのが、これであるという。庄園の松のもとには、八幡神社があり、その西隣には、天竜川町の古刹、妙恩寺の末寺の、「妙教寺」がある。この妙教寺には昔から、「七面大明神」というのが祭ってあって、この神様は女の良縁、安産、子育てに霊験があるとして、参詣者が群をなした事がある。それでこの松のことを、「明神の松」ともいい、道路の発達しないその頃は、遠くからこの松を目標に、参詣に来たものである。

又、安政二年(1855)の大地震のときには、この七面大明神は、天女の姿を現して、「気をつけなされ、気をつけなされ」と、村の人々に危険を知らせて歩いたと言い伝えられている。
それから宝永二年(1705)に、紀伊大納言光貞の妻、安之宮天真院が、この妙教寺の七面大明神に参拝に来たときの記録によると、天真院は、「おお、明神の松とはこの松か」と、大変に誉めたという事が記されている。

当時すでに立派な大松であったのである。

追記    2025年8月情報をいただきまして、現在この松は50年ほど前に無くったそうです。


『続 遠州伝説集』(御手洗 清 遠州出版社 昭和四十九年)所収