2026・2月京都回想記⑩〜心和山 光清寺
華光寺の後はすぐ近くにある「冬の旅」初公開寺院を拝観。
心和山 光清寺
通常非公開だから、いつも山門の外から眺めていた重森三玲作「心月庭」を初めて近くから観賞できました😊。
鐘楼堂
光清寺の歴史
寛文九年(1669)杲山義洋禅師を開山として、皇族の伏見宮貞致(さだゆき)親王が御生母の供養のために宮家御領地に創建。宝永三年(1706)貞致親王のご子息邦永親王が祖母の「慈眼院殿心和光清大信女」の法名をとって「心和山光清寺」と称するようになった。かつては、明治の元勲・岩倉具視を輩出した公家・岩倉家の菩提寺でもあった。
創建以来伏見宮家の帰依により無本寺格だったが、明治初年臨済宗建仁寺派に属することになった。
参考 心和山光清寺ホームページ
受付後は本堂へ
「心和の庭」(重森三玲作)
苔と石で「心」を表しています。
上から眺めると「心」と書かれています(公式ガイドブックに俯瞰写真がありました)。
お約束です🤭。
公式ガイドブックもほぼ同じ所から取っていました。
重森三玲作らしく、ガイドさんの説明がないと、想像力を働かせ、具体的に頭の中に思い描かないとその意味が分からない庭の印象です。
三玲してます🧐。
垣根は三玲アルアルです😁。
出水の七不思議「浮かれ猫」からこの二つのパネルは作成されたのでしょう。本堂には絵馬の実物が掛けられていました。
ついでに言うと、慈眼大師作と伝わる聖観音菩薩立像の記憶はうっすらとあるだけです😅。
弁財天堂
大正七年の再建。中央に弁財天、両脇に稲荷大明神と愛宕大権現が祀られています🤓。
浮かれ猫の絵馬のレプリカ。
三味線の音が聞こえると浮かれて踊り出すので金網を被せたと伝えます。
出水の七不思議
光清寺の浮かれ猫
地福寺の日限薬師
華光寺の五色椿
華光寺の時雨松
観音寺の泣く山門
五劫院の寝釈迦
極楽寺の二つ潜り戸
(京都検定テキストより)
庫裏と心月庭
山門から鐘楼
ホームページを参考に撮ったわけじゃありません。雰囲気が良いなと思って撮ったら、たまたまホームページと同じ画像になってしまいました😉。
いつもはスタンプが3つ貯まったら、近くでお茶するところですが、福勝寺が無料拝観だったためスタンプは無し。次の日も近くには行きましたが、どちらも過去に拝観しているため、今年の「冬の旅非公開文化財特別公開」寺院は二寺にとどまりました。
2026・2月京都回想記⑨〜福勝寺・華光寺
總神社の後は今宮神社で久しぶりにあぶり餅を食べようと船岡東通に出たら、タイミング良く🚌が来まして、今宮神社はバスから眺めるだけとなりました。
バスに揺られて千本出水出水降車。この時期に千本出水とくれば、「60回記念京の冬の旅非公開文化財特別公開」。
毎年の恒例ですな😉
出水通では三寺院が公開されていました。
竹林山 福勝寺
京の冬の旅では初公開になります。
福勝寺
上京区出水通千本西入七番町にある真言宗善通寺派の寺。竹林山と号す。本尊薬師如来。河内国古市郡に創建。正嘉年間(1257〜59)覚済が京都に移した。以後皇室の尊崇厚く、後陽成天皇の勅願寺となる。後西天皇が左近の桜を分栽し桜寺の別称が生まれた。豊臣秀吉の千成瓢箪を奉って武運を祈り、その威徳を謝した秀吉が寺領を寄進したので瓢箪寺とも呼ぶ。江戸期、当時の不動明王像は牛皮不動と称し、名不動の一に数えられた。
参考 『京都大事典』(佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか 淡交社 昭和五十九年)
寺伝によれば唐から帰国した空海が創建したとします。
覚済が移した当初は油小路五条その後転々として宝永五年(1709)現在地に移転しています。
当日は団体さんで本堂は人が入れるスペースがなく、しかも受付も閉まっていました。
そうしたら、本日の公開は午前中で終了ですが、本堂へは入っていいですと、私を含めた数人に、ありがたいお言葉をいただきました。
無料ですよ✌️😄
円壇には歓喜天を納める円筒形の厨子と如意宝珠が安置されています。
団体さんの一部が移動したので入って撮りました。お寺さんのご好意で入れて貰ったから、さすがにガイドさんの話は無しです。無料で拝観できた私を含めた数人は説明中は遠慮して堂の外で待っていました😊。
ちなみに御本尊の薬師如来立像は秘仏で、次回の御開帳は2034年5月を予定しています。
健康に留意すれば拝見できそうです😊。
本堂に祀られている聖観音菩薩立像。洛陽三十三所観音霊場第二十九番。平安時代の作だそうです。
金剛薩埵像
もう少しゆっくりしたかったのですが、団体さんが帰る前に出ました。
その後
蓮金山 華光寺
ブログでは3回ぐらい🆙していますね。
こちらでは毘沙門天像を拝見。ただ、福勝寺の団体さんが移動しているようで担当の皆さんがその準備に大忙し。
次のお寺だけはゆっくりしたいと、早々にお寺を後にしました。
帰り際、鐘の下の時雨松が無い!と受付の方に言ったら、書院に無かったですか?と言われました😳。
掛軸を鑑賞後にすぐに戻ったか、その存在すら気づかなかったです😟。
つづく〜
2026・2月京都回想記⑧〜總神社
北野天満宮から千本通に出て寺院をいくつか訪ねた後、源氏ゆかりの町北区紫竹西南町にある神社を参拝。
神社由緒書
読んでね😄
紫竹は源氏とゆかりが深く、神社の北には源義朝の邸宅があり、常盤御前が牛若丸を産んだ常盤第もこの近くにありました🤓。
自信はありませんが、社務所のようです🤔。
拝殿
御祭神は天穂日命・八幡神・天満天神・源義朝神霊の四柱。
創祀年は不明としながらも、白鳳年間(645〜710)に始まった伝わります。
天満天神は菅原氏が当社の宮守をしてきたことによるものとされ、菅原道真が大宰府へ左遷される際には、巫女として奉仕していた叔母に別れを告げるために訪れ、一泊したと伝えられてます😳。
手水舎と立砂
上賀茂神社の境外三十八社だから立砂なのかな👀。
厳島神社
西鳥居
源義朝は顕彰系に入れるか慰霊系に入れるか迷いますね😔。
さてどちらに入れるか、研究発表当日に分かります🤭。
2026・2月京都回想記⑥〜宇治神明神社
旦椋神社から近鉄京都線大久保駅に戻り、おそらく今回を逃したら何時参拝できるか分からない!とJR新田駅を通り越して、宇治淀線を延々京阪宇治駅まで歩きました😳。
道程の半ばぐらいでしょうか、目的地に着きました。
宇治神明神社
(神明皇大神宮)
一之鳥居の傍らにある厳島神社。旧称は弁財天社になります。
手水舎
境内は鬱蒼としていました。
手水舎の裏にある藻隠池と藻隠井戸跡。
明智光秀が山科に逃げる途中、ここに隠れた伝承があります😄。
二之鳥居
羽拍子社
御祭神
級長津彦命(しなつひこのみこと)
級長津姫命(しなつひめのみこと)
級長津彦命は漢字変換できたけど、姫はできなかった🤭。
今回は由緒書は載せないし、書きません。
興味があったらご自分で調べてください。
京都市内の神明神社を殆ど参拝した私には書けませんねぇ😟。
キーワード 私幣禁断🤗
その後、京阪宇治駅まで歩いて市内のホテルへ向かいました。













































