2026・6月京都奈良回想記⑨〜手向山八幡宮
三月堂(法華堂)から手向山八幡宮へ移動。
手向山八幡宮楼門
実際は三月堂前の北鳥居から参拝しました。
元は現在の奈良市役所辺りに鎮座しましたが、平重衡による南都焼討後の建長二年(1250)北条時頼により現在地に移転しています。
北門
由緒板
東大寺大仏建立の際、宇佐八幡宮から八幡神をお迎えして、東大寺の鎮守社としたのが始まりとされます。
エピソードとしては、宇佐八幡宮が「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交えて障ることなくなさん」という神託をくだし、八幡神の御神体と託宣が禰宜尼大神社女とともに、紫の輿に乗って宇佐から東大寺大仏に神託を伝えに来京し、封戸800戸位田60町を賜り、大神社女には従四位下が授けられます。
この時の輿が神輿のルーツとされます。
この神託は嘘か真か。
一応文献はありますが、出典が不明なので、興味があったら調べてみてください。
主祭神
応神天皇
媛大神
仲哀天皇
神功皇后
仁徳天皇
若宮社
楼門前の経庫
こちらは三月堂の経庫のようですね。
南側にも同じ建造物がありましたが、そちらは手向山八幡宮の宝庫のようです。
若草山へ移動
ここらへんの🦌さんはお行儀が良い。
これに比べて南大門前の鹿さんときたら・・・
つづく〜
2026・6月京都奈良回想記⑧〜東大寺境内散策2
東大寺鐘楼エリアから移動。
南大門から大仏殿の人出が嘘のように閑散としています😔。
二月堂(国宝)
手前に良弁杉と興成神社が鎮座しています。
今更ですが、二月堂の名は、旧暦の二月に行われる修二会が行われることから付いています。
手水舎
飯道神社
御祭神
軻遇突智神・埴山媛命・稚皇産霊神
親子の神様です。
先ほどの興成神社、画像はありませんが、遠敷神社の三社が二月堂の鎮守社になります。
二月堂の舞台から奈良市内。
登廊
三月堂(法華堂)
東大寺で最も古い建造物で国宝。
不空羂索観音立像をはじめとして国宝仏像が安置されています😳。
先を急いだので拝観は無し。四月堂は修繕中でした。
2026・6月京都奈良回想記⑦〜東大寺境内散策1
氷室神社から南大門、大仏殿を拝観。南大門、大仏殿は未公開画像編として、今回はその後に散策した東大寺境内をエリア別に🆙します。
辛国神社
祭神は、韓国翁。社名からして、大仏殿建立に携わった渡来系の神様、人物(大仏殿建立では多くの人が亡くなっているので複数含む)と思われます。ただ、明治36年までは天狗社と称していたようです。
※嘉吉三年(1443)の古文書には天狗社と表記されています。
辛国神社から鐘楼エリア
鐘楼エリアには、他に行基堂、俊乗堂、念仏堂があります。
東大寺梵鐘
鐘楼(国宝)は鎌倉時代の再建ですが、梵鐘は天平時代のもので国宝。
重さ26・3トン
奈良太郎の愛称があります。
日本三名鐘と鐘楼にありましたが、三名鐘は、音の三井寺、銘の神護寺、形の平等院で、東大寺は日本三大梵鐘(他に知恩院、方広寺)じゃなかったかな?🤔と思いましたが、基準には諸説あるそうですね。
行基堂
俊乗堂
俊乗とは、鎌倉期の復興に尽力した重源上人のこと。堂内には重源像の他、愛染明王像、伝快慶作・阿弥陀如来如来立像が安置されています。
地蔵菩薩立像が祀られています。
地蔵菩薩から嘉禎三年(1237)の刻銘があることから、その年あたりに建立されたと推定されます。
つづく
参考サイト
東大寺奈良倶楽部東大寺境内見どころ散策MAP
東大寺御朱印

































