自己プロデュースコースの課題、ストーリープロフィールを書いています
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出産しても仕事を続けよう、そう覚悟を決めてから、産前産後休暇通算16週を
どんなふうにとろうか、まず計画をたててみました。
会社の新マタニティ制服を着たのは、職場で私が一番最初なんですよね(笑)
マタニティ生活は一時期つわりできつかったくらいで比較的順調。
メロンが無性に食べたくなって、毎日メロン食べてましてね(笑)
博多どんたくの時、通勤で乗っていた地下鉄。
私が座った座席の隣にバックの忘れ物があったので、駅員さんに届けたら、
すごい大金が入ってたらしく・・・
後日、落とし主の方が見つかって、是非お礼をといわれたのですが、
そんなお礼なんていいですよとお断りしたら、その方、熊本のメロン農家の方で、
食べきれないほどのメロンを送ってくださいました。
だから毎日、高級メロン食べてた
不思議なことに息子は今もメロンが大好きなんですよね。
誕生日はケーキじゃなくて、メロンがいいといいます(笑)
出産後の育児をどうしようか?
今のマンションでは手狭なので、見てくれる双方の親が泊まれる部屋が必要よね。
駐車場も必要だから、一戸建てを建てよう。
当時は、若いくせにお金持ってたんですね。
勢いというか、思いつきだったからね、でもね、そういうのはよくないよ。
家って買ってしまったら、そこに縛られる生活にもなるしね。ってちょっと後悔なんだな。
結婚前から2人で波乗り三昧の生活だったので、海の近くがいいねって、
糸島に新築一戸建てを購入。
妊娠中にプランの相談や手続き関係など、大急ぎで進めました。
その後、産前休暇に入りますが、時期を同じくして母が病気・手術で入院。
家族が行ったりきたりしなくてすむようにと、
私は母が入院していた地元の大学病院で出産することにしました。
休暇中は、実家に戻り、家事、母のお見舞いと毎日忙しく動いていました。
にもかかわらず、仕事を休んでからの私の体重は急激に増えてきました。
お医者様からは、浮腫もでてきているし、体重の増加に気をつけるようにと
言われていたのに、なんと、なんと、体重は毎日増え続けなんと、なんと、
出産前から+17キロ
母子手帳に赤線が引かれちゃいました
世の中の人は、みんな、赤ちゃん産んでるんだもの。
私も普通に埋めるでしょう。そんな風に、出産をなめてましたね。
その後、母が退院。その日に陣痛。
入れ替わりで入院することになりました(笑)
はじめてのお産。さすがに陣痛が始まったら、誰かについてきて欲しかった。
退院したばかりの母に言えず・・・
でも母なら、きっと私についてきてくれるだろうって、そんな期待があったのね。
だってはじめてのお産だもの。
でも、母は私を一人、送り出した。なんかこれ超ショックだったんです。
甘えるな~って思われる方もいるかもしれないんですが、
私は幼い頃から、あまり母に手をかけてもらったことがないんです。
「あなたはなんでも一人でできるでしょ。」
ずっと言われて育ったから。
夫はその日仕事。父も仕事。
「いいよ、いいよ、一人で大丈夫」不安を抱えながら病院へと参りました。
看護士さんが、「一人できたんですか?」といぶかしげに私を見ていいました。
きっと、訳有りの妊婦さんだと思ったのでしょう。。。
私は陣痛をこらえながら、入院承諾書にサインをしました。
そして、まっくらで誰もいない病室に、まるで荷物のようにほおりこまれ、
一人で波の様にくる陣痛に耐えておりました。
腰がくだけるくらいに痛い、誰もいない。
時々、看護士さんが様子を見にきますが、背中や腰をさすってくれる訳でもなく、
子宮口が開くタイミングを見に来てるだけの感じで、あの時間は地獄のようでした。
母は夫に連絡してくれたかな?もし連絡してくれてたらもうすぐ着く頃。
それまで、我慢。もうちょっと我慢。。
最初の出産なので、どの状態でナースコールをしたらいいのかも
よくわからず、我慢ってどこまで我慢??
そして、看護士さん登場、「ま、もう産まれそう。なんでコールしなかったの?」
と、怒られながら分娩室。
ご家族の付き添いは?
「いないってば」
一人分娩室。夜中だったので当直の先生が目をこすりながら登場。
新米の女性の医師で、なんかオロオロされてました。
赤ちゃんは産道を降りてきてたけど、時間がかかりすぎて、
呼吸ができなくなって意識朦朧。
いきめ!と言われても、手足がしびれて力が全くはいらず・・・
呼吸もできなくなってしまいました。
お医者さんや助産師さんはかなりあわててましたね。
そのうち、別のお医者さんが呼ばれてやってきて、その様子をみて、
「何、やってんだ~!!」って、新米の医師を一喝。
「この状態でどのくらいになる?赤ん坊、死ぬぞ。帝王切開の用意をしろ。」
朦朧とした意識の中、その言葉を聴いた瞬間、こんなにきつい思いして、
いまさら、麻酔されておなか切られるなんて。。。いやだ~~!!
「先生、最後のチャンスください」たどたどしくいえた。。記憶あり。
でもね、本当に苦しくて、苦しくて。。。
このまま、私も赤ちゃんも死ぬんだろうな~って、本当にそう思ったの。
やっと吸引分娩で息子が誕生。
でも、泣かない赤ちゃんでした。
TVの出産シーンでは赤ちゃん泣くよ。私の赤ちゃんは泣かなかった。
お医者さんはあたふたしてました。蘇生だ、蘇生、何ぼやっとしてるんだ~
みんながばたばた動き回っていたのが、涙でかすんで見えました。
どのくらい時間がたったでしょうか?死んだと思った息子は息を吹き返し、
おぎゃと小さく泣きました。
子豚のようにプリプリした大きなBABYでした。
(親も子も太りすぎてた?メロンのせいか・・)
いきみすぎたせいか顔が異常な色に変化。
当然、体力は消耗しきっていて動けない状態。
しばらく安静ですね。赤ちゃんも保育器です。
説明も遠い記憶、他人事のように聞こえていました。
誰もいない、誰も駆けつけてくれない。
私、一人ぼっち。
再び、呼吸ができなくなりました。
12時回った?赤ちゃんの誕生日は17日?18日??
それだけが頭の中でぐるぐる回り、そしてその後のことはあまり覚えて
いないのです。
>>>>続く