△猪口スタイル~社会人編⑦~ | 女性起業・ビジネスプロデューサー Hanako塾☆猪口一世

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起業したい女性、起業したけれど売上の伸びに悩む女性起業家へ、ビジネスの方法をお伝えしています。過去26業種、約3,000名の女性起業家をサポート。株式会社Hanako 塾代表取締役、一般社団法人アクティブウーマン代表副理事。

自己プロデュースコースの課題、ストーリープロフィールを書いています


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猪口スタイル~幼少期~

口スタイル~小学生①~

猪口スタイル~小学生②~

猪口スタイル~中学生~

猪口スタイル~高校生~

猪口スタイル~短大編①~

猪口スタイル~短大編②~

猪口スタイル~社会人編①~
猪口スタイル社~会人編②~

猪口スタイル~社会人編③~
猪口スタイル~社会人編④~

猪口スタイル~社会人編⑤~

猪口スタイル~社会人編⑥~


出産しても仕事を続けよう、そう覚悟を決めてから、産前産後休暇通算16週を

どんなふうにとろうか、まず計画をたててみました。


会社の新マタニティ制服を着たのは、職場で私が一番最初なんですよね(笑)


マタニティ生活は一時期つわりできつかったくらいで比較的順調。


メロンが無性に食べたくなって、毎日メロン食べてましてね(笑)

博多どんたくの時、通勤で乗っていた地下鉄。

私が座った座席の隣にバックの忘れ物があったので、駅員さんに届けたら、

すごい大金が入ってたらしく・・・あせる


後日、落とし主の方が見つかって、是非お礼をといわれたのですが、

そんなお礼なんていいですよとお断りしたら、その方、熊本のメロン農家の方で、

食べきれないほどのメロンを送ってくださいました。

だから毎日、高級メロン食べてたwa-i*


不思議なことに息子は今もメロンが大好きなんですよね。

誕生日はケーキじゃなくて、メロンがいいといいます(笑)



出産後の育児をどうしようか?


今のマンションでは手狭なので、見てくれる双方の親が泊まれる部屋が必要よね。

駐車場も必要だから、一戸建てを建てよう。

当時は、若いくせにお金持ってたんですね。


勢いというか、思いつきだったからね、でもね、そういうのはよくないよ。

家って買ってしまったら、そこに縛られる生活にもなるしね。ってちょっと後悔なんだな。


結婚前から2人で波乗り三昧の生活だったので、海の近くがいいねって、

糸島に新築一戸建てを購入。


妊娠中にプランの相談や手続き関係など、大急ぎで進めました。


その後、産前休暇に入りますが、時期を同じくして母が病気・手術で入院。

家族が行ったりきたりしなくてすむようにと、

私は母が入院していた地元の大学病院で出産することにしました。


休暇中は、実家に戻り、家事、母のお見舞いと毎日忙しく動いていました。

にもかかわらず、仕事を休んでからの私の体重は急激に増えてきました。


お医者様からは、浮腫もでてきているし、体重の増加に気をつけるようにと

言われていたのに、なんと、なんと、体重は毎日増え続けなんと、なんと、

出産前から+17キロ叫び


母子手帳に赤線が引かれちゃいましたがーん


世の中の人は、みんな、赤ちゃん産んでるんだもの。

私も普通に埋めるでしょう。そんな風に、出産をなめてましたね。


その後、母が退院。その日に陣痛。

入れ替わりで入院することになりました(笑)


はじめてのお産。さすがに陣痛が始まったら、誰かについてきて欲しかった。

退院したばかりの母に言えず・・・

でも母なら、きっと私についてきてくれるだろうって、そんな期待があったのね。

だってはじめてのお産だもの。


でも、母は私を一人、送り出した。なんかこれ超ショックだったんです。


甘えるな~って思われる方もいるかもしれないんですが、

私は幼い頃から、あまり母に手をかけてもらったことがないんです。

「あなたはなんでも一人でできるでしょ。」

ずっと言われて育ったから。


夫はその日仕事。父も仕事。


「いいよ、いいよ、一人で大丈夫」不安を抱えながら病院へと参りました。


看護士さんが、「一人できたんですか?」といぶかしげに私を見ていいました。

きっと、訳有りの妊婦さんだと思ったのでしょう。。。


私は陣痛をこらえながら、入院承諾書にサインをしました。


そして、まっくらで誰もいない病室に、まるで荷物のようにほおりこまれ、

一人で波の様にくる陣痛に耐えておりました。


腰がくだけるくらいに痛い、誰もいない。


時々、看護士さんが様子を見にきますが、背中や腰をさすってくれる訳でもなく、

子宮口が開くタイミングを見に来てるだけの感じで、あの時間は地獄のようでした。


母は夫に連絡してくれたかな?もし連絡してくれてたらもうすぐ着く頃。

それまで、我慢。もうちょっと我慢。。


最初の出産なので、どの状態でナースコールをしたらいいのかも

よくわからず、我慢ってどこまで我慢??


そして、看護士さん登場、「ま、もう産まれそう。なんでコールしなかったの?」

と、怒られながら分娩室。


ご家族の付き添いは?

「いないってばむっ


一人分娩室。夜中だったので当直の先生が目をこすりながら登場。

新米の女性の医師で、なんかオロオロされてました。


赤ちゃんは産道を降りてきてたけど、時間がかかりすぎて、

呼吸ができなくなって意識朦朧。

いきめ!と言われても、手足がしびれて力が全くはいらず・・・

呼吸もできなくなってしまいました。


お医者さんや助産師さんはかなりあわててましたね。


そのうち、別のお医者さんが呼ばれてやってきて、その様子をみて、

「何、やってんだ~!!」って、新米の医師を一喝。


「この状態でどのくらいになる?赤ん坊、死ぬぞ。帝王切開の用意をしろ。」


朦朧とした意識の中、その言葉を聴いた瞬間、こんなにきつい思いして、

いまさら、麻酔されておなか切られるなんて。。。いやだ~~!!


「先生、最後のチャンスください」たどたどしくいえた。。記憶あり。


でもね、本当に苦しくて、苦しくて。。。

このまま、私も赤ちゃんも死ぬんだろうな~って、本当にそう思ったの。


やっと吸引分娩で息子が誕生。


でも、泣かない赤ちゃんでした。

TVの出産シーンでは赤ちゃん泣くよ。私の赤ちゃんは泣かなかった。


お医者さんはあたふたしてました。蘇生だ、蘇生、何ぼやっとしてるんだ~

みんながばたばた動き回っていたのが、涙でかすんで見えました。


どのくらい時間がたったでしょうか?死んだと思った息子は息を吹き返し、

おぎゃと小さく泣きました。


子豚のようにプリプリした大きなBABYでした。

(親も子も太りすぎてた?メロンのせいか・・)


いきみすぎたせいか顔が異常な色に変化。

当然、体力は消耗しきっていて動けない状態。


しばらく安静ですね。赤ちゃんも保育器です。


説明も遠い記憶、他人事のように聞こえていました。

誰もいない、誰も駆けつけてくれない。


私、一人ぼっち。


再び、呼吸ができなくなりました。


12時回った?赤ちゃんの誕生日は17日?18日??

それだけが頭の中でぐるぐる回り、そしてその後のことはあまり覚えて

いないのです。


>>>>続く