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忘れかけていた目的を果たす絶好の機会がやって来た。
五時間目のこの授業には担当教師がおらず、かといって自習というわけでもない。
授業の名は『自由』。
言葉通り何をするのも自由で、真面目に遊べの校訓に則って遊んでも良いし、好きな科目を自習しても良い。とりわけ生徒の自主性が求められる授業となっている。
昼休みが終わってそのままこの授業に突入するため、五時間目も昼休みの範疇と考えている生徒も多いようだ。
男子トイレの個室で魔法の講義を受けていた御門は、早々に切り上げて三階の図書室に向かった。プラネートは不満げだったが、最低限の知識は授けてもらった。何が分からないのか分からないという悲しい状況は脱したのだ。後は自分の力だけで何とかしたい。
図書室に入ると、視界に飛び込んできた光景に驚かされた。
半分はドミノ倒しができるくらいの等間隔に本棚が並んでいる何の変哲もない図書室。
驚いたのはもう半分で、読書スペースがカフェテラスのように開放的な空間となっている。机も事務的な長机ではなくお洒落な丸机だ。
そのせいか、閑散としている図書室のイメージは何処へやら。
完全に人気スポットと化していた。
(テーブルはほぼ埋まってるな。本を置くスペースなんてないし、立ち読みするか)
御門が図書室に来た目的。
それは以前興味を抱いた、改変後の世界の歴史を知ること。
世界史は習っていない御門でも、日本の歴史であればある程度学がある。
御門は早速それらしき本を探しに本棚の森に足を踏み入れた。
(よく考えたら教科書見れば済む話だったか。どうせなら……と)
もっと違う方面から歴史を垣間見られるような、そんな本を探す。
そうして行き着いたのは、漫画で歴史を勉強できる受験生御用達の本。御門が好きだった安土桃山時代を手にとって、ペラペラとページを捲って流し読みしていく。
(長篠の戦い、本能寺の変、太閤検地、四国平定。主要な出来事、年代も変わらず。プラネートは人と人との繋がりまでは改変できないって言ってた。つまり歴史とは人の繋がりによって成り立つものってことか。成る程ね……、ん?)
豊臣秀吉の死去の文脈に、有り得ない説明がされていた。
猿の亜人、と。
(亜人? 秀吉が?)
猿面冠者なんて言葉が残っている通り、確かに秀吉は猿と呼ばれていたとされている。
だがまさか猿の亜人になっていたとは。この漫画に出てくる秀吉がやたらと毛深く描写されていたのは、渾名を意識してのことではなかったらしい。
(そうか。そうだよな。人間、亜人、獣人が等しく生活してるんなら、人間だけが偉人として歴史に残ってるなんて不自然だもんな)
こうなってくるともっと調べてみたくなる。
御門は日本史の漫画を棚に戻し、世界史の近代編の本を手に取った。
今朝、歌仙が言っていたことを思い出したのだ。
(やっぱり発展途上国には種族差別の問題が残ってるんだな。へぇ、獣人や亜人の独裁国家もあるのか。……う。け、結構えげつないな)
独裁国家に残る奴隷制、蔓延る人身売買。
中にはヒューマンショップ、デミヒューマンショップ、セリアンスロープショップなどと銘打って、大々的に商売している国もあるようだ。細かい法律が定められているだけにたちが悪い。ペットを飼うのと同じ感覚なのだろう。
つくづく思う。
御門のホームレス生活はマシな方だったのだと。
「ふぅー……」
本を閉じて大きく息を吐く。
これでまた一つ改変された世界について深く知ることができた。身の回りのことだけで満足せず、この調子で見聞を広めていきたいところだ。
と。
「あっ」
「ん?」
本を棚に戻した直後だった。
声に振り向くと、本棚と本棚の間から顔を出した歌仙と目があった。心なしか一瞬歌仙の目が泳いだような気がする。
何故図書室に? と聞こうとするも、歌仙はそうはいくかとばかりに近付いてきて、
「そ、そうだ、丁度良かった。アンタに伝えておくことがあって」
「伝えておくこと?」
「放課後の魔力測定のことよ。アンタ、物を知らないし。不安だと思って」
「!」
「別に、人間でも平気だからね。そもそもあれって魔力を測るわけじゃないのよ。先生達が知りたいのはアンタの魔想力。この測定結果でその生徒に適した選択科目が決まるって訳。一応私も呼ばれてるからサポートするつもりだし」
歌仙はそっぽを向きながらも丁寧な説明をしてくれている。昼休みにプラネートから聞いた話を補足してくれた感じだ。
噂好きのクラスメイト達に囲まれて、さも迷惑そうにしていたのに。
お嬢様口調の少女とキャットファイト寸前の口喧嘩を繰り広げていたのに。
見ていてくれた。
こうして気遣ってくれた。
(なんっっっっっっって良い子なんだ……!!)
出会ってからの一ヶ月が本当に悔やまれる。勇気を振り絞って声を掛けていれば、今よりもずっと仲良くなれていたかもしれない。
とにかく感謝の気持ちを伝えなければ。
「ありがとう。歌仙は優しいな」
「……別に」
少し顔を赤くして口を尖らせる歌仙。
その反応がとても可愛らしい。
口に出しては言えないが、御門が初めて歌仙を女の子として意識した瞬間だった。
「じゃあね。それだけだから。アンタも早めに戻っておきなさいよ」
「え、もうそんな時間か?」
どうやら想像以上に読書に耽っていたようだ。
調べ物や漫画を読書と言えるのかというのはさておき。
「ちょ、ちょっと待った」
踵を返そうとする歌仙を呼び止める。
「何よ」
「さっき聞きそびれたんだけどさ。歌仙は何しに図書室に?」
「うっ。わ、私はほら、その。宇美がしつこいから逃げてきただけよ」
「あの子か。仲良いんだな」
「は? 冗談」
「でも他の女子とは明らかに態度が違ったし。クラスに馴染めてないのかと余計な心配するところだったぞ」
歌仙の性格なら、挑発されたところで構ったりはしないはずだ。
歌仙と宇美の関係は、二人が互いに意識し合っているからこそ成立している。
「……はぁ。馴染めてないのは事実よ。別に馴染みたいわけじゃないけど。ただ宇美だけは何というか、こっちも無意識に張り合っちゃうというか……種族の性(さが)ね。昔から変わらないわ」
「種族? 宇美って子、人間じゃないのか?」
見た目は完全に人間だった。獣人ではないだろう。
となると亜人?
だが亜人特有の動物的特徴は何処にも見当たらなかった気がする。
「亀の亜人よ。亜人の中には、身体的特徴じゃなくて習性や特性が受け継がれている場合もある。あの子はそっちね」
「確かに喋り方がのんびりしてたような。成る程、亀の亜人と兎の亜人か」
理由は言わずもがな、有名なあの童話だろう。
結果だけ見れば宇美の方から突っかかってくるのは不自然に思えるが、童話の中では兎が怠けなければ圧倒的な大差で亀は負ける。それが悔しいのかもしれない。
兎は兎で、油断して負けてしまった後悔がある。
人間の御門には理解しがたいが、何とも微笑ましい話だ。
「アンタ……今、心の中で笑ったでしょ」
「め、滅相もない」
逃げるようにして図書室を後にする。
終始背後から疑いの視線を浴びせられながら、御門は教室に戻ったのだった。