私の父は若年性痴ほう症でした。 | パニック障害専門の漢方薬局と通販 自律神経失調症・不安感はおまかせ

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●私の父は若年性痴ほう症でした。

こんにちは。飯田千香子です。

あなたにはやりたいこと「What」はありますか?

ご家族にはやりたいことがありますか?それを応援してあげていますか?


私の父の話です。

私の父は私が小学1年生の9月に36歳の若さで入浴中に脳卒中になり、そのまま救急車で搬送され、長時間の手術を受け、一時は車いすと言われました。リハビリし、漢方薬を飲み、運転ができるまでに回復しました。


今でも覚えています。入浴後にフラフラすると支えられ、今では懐かしいポンプ式の血圧計で血圧が高かったので救急車が来て、

父が「さっきは歩けたのに」などと言いながら、救急隊に支えられて救急車で行ってしまった時のこと。

入院先へ行ったときに父が祖父に私を指さして「あれは誰?」と聞いていた時のこと。「千香子じゃないか」と答えていた祖父。

この時、父には、やりたいこと「What」がありました。

まだ小さい小学1年生の私と、年少さんの妹のために元気になる!という目標がありました。

当時は病気は「運が悪い」といわれていて、「生活習慣病」という概念がなく、母は勉強をして肉や甘いものがだーい好きだった父の生活を正し、病人は寝かせておけという当時の概念を覆してすぐにリハビリを始めました。

母と伯父が毎日のように病院へ通い、動かない足を補助して動かして感覚を取り戻させていたそうです。

毎日、子供のためにと、励ましながらリハビリしていたそうです。

父にはやりたいこと「What」があり、そのために「How」リハビリをし、漢方を飲んでいました。

退院後もよくリハビリのため、遠くまで散歩へ行ったり、自転車で遠出しました。父と一緒に遠くまで散歩したり自転車で遠出するのは私は個人的には母の方が大好きだったので、仕方なくといった感じではあったのですが、今振り返ると少ない父との家族の思い出になっています。

父を家族も全員一丸となって支え、応援しました。父にやりたいこと「What」があり、それが明確だったからです。

そうやってリハビリし、食事改善にも取り組み、一般的な生活は楽しめるようになりました。運転もできるようになりました。

すると、リハビリをさぼるようになり、美味しいものを食べたくなってきた父。

漢方薬も飲みたがらなくなりました。母は毎日文句を言われながらも漢方薬を飲ませる生活に疲れ、父の好きなようにほっておくようになりました。

今振り返ると、反抗期の娘たちに構ってもらえず、やりたいこと「What」がなくなってしまったのでしょう。

そして私は念願の公立薬学部へ合格し、進学、実家を離れました。

大学3年生の時だったかな?

病気が再発し、店番中に倒れて、お客さんが救急車を呼んでくださったそうです。

見た目はほぼ変わらず、戻ってきた父でしたが、耳は聞こえているのに、内容が理解できなくなっていたようです。

最初は気づかなかったそうです。聞こえているつもりで父は返事をする。見た目は普通。もともとおしゃべりでもなく、寡黙でもあり、見当違いな返答をすることもあったので、気づかなかったのも仕方がありません。

そのうちに母の男性の来客、母にかかってくる男性の電話、母が録音した勉強会の男性の声のテープがすべて、母の浮気相手だと思うようになったのです。

そう、脳卒中をきっかけに若年性痴ほう症になっていたのでした。

近所やお客さんに母の浮気を言いふらし、困り果てた母にも私たち姉妹にも父は嫌われ、疎まれました。

以前から、頑張ってきた母に感謝を示してくれない父が嫌いでした。このような状態になり、苦労してきた母を更に苦しめる父に、憎しみにも似た感情がありました。

そして何度か脳卒中を繰り返し、当時珍しかった若年性痴ほう症は年齢が若いために介護保険の対象にもならず、病院をたらいまわしにされ、最後寝たきりになり、チューブだらけになって亡くなりました。

亡くなってから遺影にする写真を探していて気づきました。

父は36歳の若さで生死をさまよい、それから顔は少しかたがっていました。

それを気にしていたのでしょう。あまり写真を撮られることを好まず、そういえば旅行へ出かけてもいつも撮る側でした。

父の写真は本当に全然ありませんでした。

かろうじて、法事へ参加した時や結婚式に参加した時の全体写真があったので、それを遺影にしました。

出てきたのは沢山の母の笑っている写真。

まるで芸能人のプロマイドのような母の写真が沢山、たくさん出てきました。

若い頃はかなり綺麗だったのでしょう。そういえば母の中学時代の先生が、母に片思いをしていた男の子がいて、母が見合い結婚をして結婚が遅れてしまったという話をしていたな。

父は母が大好きだったのです。(多分)

だから大好きな母がどこかへ行かないよう、出かけるときは文句を言い、母の旅行をキャンセルしてしまったり、しまいには若年性痴ほう症になってからは、母がかかわる男性がすべて浮気相手のように思ってしまったのですね。

束縛して、ずっとずっとそばにいてもらいたかったのでしょう。

正直に言ってくれたら別の未来があったのに。

そして、母もそれに気づけば、もっと父のやる気、やりたいこと「What」を引き出し、もっと違う未来があったはず。

父も母も、とっても不器用だったのです。

母が父の想いを受け止め、うまく父を褒めて引き出せば、もっと楽しい未来があったのにね。私が父の本心に気づいたのは結局、亡くなってからでした。

私たち姉妹のどちらかでも、そんな複雑な男心に気づいていれば・・・、いや、当時はまだ幼くて、そんな複雑な大人の想いに、父の想いなんてなおさら、知ろうともしなかったから。

やりたいことがあれば、もっともっと、「今」を楽しめたはず。

やりたいことがあれば、漢方薬をのむのを中断しなかったでしょうし、リハビリも続けられたでしょう。

自分のやりたいこと「What」と、ご家族、病人のやりたいこと「What」

気づいてください、引き出してください。

私の父は極端な例ですが、もっともっと自分に素直になって、やりたいこと「What」を見つけてください。

父のように手遅れにならぬ前に。

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