今、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄(エロイカ)」を聴いておりますベートーヴェンの音楽らしく、壮大なスケールの交響曲でございますヴァイオリン、ホルン、チェロなど12のパートから成っております。「英雄」の冒頭主題をチェロが担当しておりまして、チェロは音域が人声に近いために、わたくしはこの主題を聴いておりますと、どこか安心するのでございますこの「英雄」でございますが、当初、ベートーヴェンは皇帝(英雄)ナポレオンに捧げるべく作曲しはじめたのですが、皇帝に即位してしまった「英雄」ナポレオンの姿に失望して、献呈を取りやめた・・というエピソードがある曲なのでございますベートーヴェンは、ナポレオンのなかに「英雄」をすでに感じ取ることが出来なくなってしまったのでしょうかこの「英雄」を聴く度、私の脳裏には皇帝ではなくて英雄であった頃のナポレオンの姿が浮かぶのです。私たちは「英雄」に憧れますが、「英雄」には英雄であるからこその「苦悩」や「葛藤」があったのではないかと。ナポレオンの最期は、英雄にふさわしい・・とはとても言いがたい壮絶な最期であったと思っております交響曲「英雄」は壮大なスケールであるからこそ、私はナポレオンを思い浮かべて切ない気持ちになってしまうのです