波瀾万丈②

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ザビエル様の通訳として、

 

故郷に錦を飾るはずであったヤジロウ様。

 

池端弥次郎重尚様と同一人物という見方も

 

ありますが、その説をとるならば、平戸・

 

京都・山口などを経てインドに戻られる

 

ザビエル様らと離れてからは

 

商人に戻られて、1560年6月3日に

 

交易上の争いで仲裁に入り、鉄砲に当たって

 

中国で非業の死を遂げたのではないかということですが。

 

あるいは薩摩城下の人間ともいわれておりますね。

 

いずれにしましても、

 

1548年にゴアの聖パウロ教会で

 

日本人として初めての洗礼を受けられ、

 

「パウロ・デ・サンタ・フェ(聖信のパウロ)」という

 

霊名を授かり、同地の聖パウロ学院で

 

キリスト神学を学んだほどの

 

知性を有していたことには違いなく。

 

1549年4月19日、ザビエル様に

 

従われてゴアを離れ

 

 

同年の8月15日に故郷の薩摩(鹿児島)へ

 

上陸されたのでございました。

 

しかし、一年で薩摩における

 

キリスト教が禁教となりまして、

 

ザビエル様ご一行は

 

平戸、京都、山口などを経て

 

インドに戻られることになりました。

 

それ以降のヤジロウ様の消息は

 

不明となり、国際人第一号であったはずの

 

彼の業績は歴史の波に流され

 

なかなか現代まで伝わらなかったのでございます。

 

1511年か1512年の薩摩生まれで、

 

殺人を犯したためにポルトガル商人の

 

ジョルジュ・アルバレス様の船で

 

1546年か1547年に日本から海外に亡命され、

 

1547年初めにマラッカに到着され、

 

同年の12月初旬には同地の

 

丘の聖母教会において、

 

ザビエル様と運命の出会いを果たされ、

 

ザビエル様に懺悔をし、その赦しを得て

 

魂が救済され、ゴアの大聖堂で洗礼を受けられた

 

ことは確かなことだというのです。謎に包まれた

 

人物像。

 

しかし、短時間でポルトガル語を習得され、

 

マタイ伝をすべて記憶され、その概略を日本語で

 

書き記したといわれるほどの高い知性。

 

国際人として自由闊達にポルトガル語を操り、

 

海外通であり、ヨーロッパ文化と文明を

 

享受するとともに

 

日本の情報特に仏教の情報を

 

正確無比にヨーロッパに発信され、

 

イエズス会の仏教研究に貢献された

 

最初の日本人であられたことは

 

もっと知られるべきではないかと

 

思う次第でございます。

 

その親類(?)ともいわれております

 

イエズス会初代総長のロヨラ様ばかりか

 

ローマ教皇猊下にも謁見を許された

 

ベルナルド様も、ですね。

 

まあ、鎖国に至るまでの

 

闇の事情はあったにせよ(日本が

 

侵略される危険があったので

 

鎖国と弾圧に舵を切るしかなかった)

 

なかには本当に、日本を愛してくださった

 

理解してくださった方々もおられたのではないかとも

 

思うわけでして。

 

少なくとも日本独自の美しい文化が

 

(浮世絵など)海外の方々を今もなお魅了するのも事実なわけで、

 

ただ、西洋文化をオランダのみの情報だけではなく、

 

もっとたくさん進取できていたならば、

 

さらに日本文化が開花していたのではないかと。

 

国際人として(その裏で人身売買は、

 

まあ日本でも日常茶飯事でしたものね)

 

もっと活躍できた方々もいたのにと

 

思う自分もいたりと、なかなかに複雑な気分でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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