歌河沙淋のブログ -1146ページ目

杉本一文(いちぶん)さん

知る人ぞ知る、元・イラストレーター、現・版画家(もう、イラストは描かない旨、語ってました)。                       …というのも、先日トークショウがあり、行って来たのです。昭和50年代に一代ブームを巻き起こした、角川文庫の横溝正史作品の表紙の数々のあのイラスト…‥を描いてた方。と言えば、「あゝ」と分かるかな…!?                        杉本さん自身は今年63歳だそうで。白髪短髪で、実年齢よりはちょっと老けた感じの、お爺ちゃま…に見えました。                         会場には、トークショウの為に1日だけ、あの数々の表紙の中から原画を十数点、生で展示。文庫サイズで見るよりも、かなり大きな原画達は、発色も全然違って、美しくて、細部の緻密な感じもよく分かった。綺麗だった!                    杉本さん自身の、ちょっと北関東辺りの訛りが入ったトークは、終始笑いが絶えないもので、楽しい時間だっ
た。                          話の内容から、イラスト集の出版の予定は全くない(万単位の部数が見込めないと出版社が動かないそうで…)との事で、残念でした。出版業界も厳しいんですね‥。

昨夜の爆問学問(NHK)…

爆笑問題のニッポンの教養…!!野田秀樹さんの巻の前編。                     某大学の演劇学科の講師をしているとの事で、爆笑問題の2人が、その現場を訪問する処から番組が始まった。                       いきなり、学生達に爆笑~の2人も混じっての、噂のワークショップの模様が映し出された。                        例えば、野田さんが、「水」と言ったら、その事を体で表現する。「水」って、体でどう表現する?                        うーん、楽しかった♪野田さんの舞台に出たがっている役者が多い…‥っていうのが良く分かる気がした。                  本番は勿論だろうけど、この過程であるワークショップが、病み付きになる位楽しいんだと思う。テレビで見ながら、自分もこのワークショップに参加したーいと思った。                      しかし、義務教育に、音楽や美術の時間があるのに、何故、演
劇(or映画)の時間がないのだろう?と、最近良く思う。                        そして、音楽・美術・体育…‥にも成績の良し悪しである点数がついてしまう…という事にも疑問がある。                   何故?                   点数とか順位とか…‥!?音楽や美術や体育に…? (運動音痴の自分は、学校の体育の時間が、当時、本当に大変なストレスだった。トホッ。)                          ナンセンスじゃない?                       ま…、そんな事にまで想いを馳せてしまう位の、野田さんの前編のあ!という間の楽しい30分だった。来週の後半も必見!

つかさんまで…

…‥我らが遅筆堂、作家・劇作家であった井上ひさしさんの訃報が、ついこの間だったのに、今度はつかこうへいさんの訃報が…。                    思えば、かれこれ30年位前になるのか。新宿紀伊國屋ホールでの、つかこうへい劇団を観た辺りから、ワタクシの観劇ライフが始まったような気がする(全くのミーハー客でした)。                    現・紀伊國屋書店(東口)の1Fにボックス・オフィスがあって、つか劇団の公演の前売り開始日には、良く並んだものだった。                       まだ売れっ子になる前の、風間杜夫・平田満・加藤健一・石丸謙二郎…‥らが、思いっきり汗だくになって熱演し、紀伊國屋ホールの客席にも、その熱気が伝染して沸き立っていたあの頃。                  幾つのウ゛ァージョンがあるかわからない位の「熱海殺人事件」、映画にもなった「蒲田行進曲」…‥等、他にも沢山お世話になりました。        
             もう、この二方の新作が観られないのは淋しいけど、これから先も多分、作品は時代を超え上演され続けて、残って行く事と思います。                         しかし‥、今年は訃報がいつになく多いと感じるのは、自分もその分、年齢を重ねて来た…という事、なのか?       自分も、つかさんの遺言書のように、葬儀も戒名も墓も要らない…‥と思う。…ってか、思っていた。          しかし、ここ10年位、自分の親も含めて、葬儀や法事に出る事が増えるにつけ、思う事がある。           それは、生き残った我々の無事を確認する為のものでもある…‥という゛想い"だ。        ゛生かされている"という事だ。