彼の声 2024.9.29 「騒ぎの後始末」 | 彼の声

彼の声 2024.9.29 「騒ぎの後始末」

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 想像力を膨らませれば大げさなことが言え
ることのついでに、それがそんな事例となる
わけでもないが、例えばありふれたこととし
てSNSで日本崩壊だと述べれば、ああなる
ほどSNSではこういう状態が日本が崩壊し
た状態だと言えるのかと納得できるわけでも
ないのだが、日本が崩壊したところでこの程
度のことだと軽く見ているようなら、では日
本が崩壊したのは嘘なのかと崩壊を疑うわけ
でもなく、そこで何かが崩壊していてそれを
崩壊だと表現しているだけだと思えば済んで
しまい、崩壊とはこういうことなのかと納得
するわけでもないが、これを崩壊だと表現で
きるのかと感心するわけでもなく、そんなこ
とを言っている誰かが人心を惹きつけるため
に崩壊という言葉を大げさに使っているのか
と理解すれば済んでしまうわけでもないのだ
が、別に崩壊という言葉にこだわる必要もな
いのに、安易に崩壊という言葉を使う輩を馬
鹿にするようなことを述べてしまうと、何か
それ自体が屁理屈をこねているような、中身
のないことを執拗に述べているような感じに
なってしまいそうだが、それでも構わないよ
うな状況の中で崩壊という言葉が使われてい
るのかと嘘をついても、そんな嘘が世の中で
通用するわけもないから、あまりその程度の
ことを問題視するわけにも行かず、結局はそ
の程度のこととして割と簡単に受け流してし
まうのだが、逆に受け流すわけにも行かない
興味深いことというのが、それが興味深いこ
とだとしても、現状の世の中に大して作用も
影響も及ぼさないことであったりするから、
何でもないことだとしても興味深いのであり、
それが安心しながら問題視するようなことに
なれば、SNSなどでも話題となっているこ
とになりそうなのだが、そうなると当事者で
もない部外者が野次馬の立場から問題視する
ようなことにもなるだろうから、興味本位の
無責任な態度で問題視するようなことにもな
ってきて、それがどうでもいいこととしてメ
ディアで話題となっているのだろうが、実態
としてもただの騒ぎ屋が騒いでいるだけで、
それを真に受ける必要もないことにもなって
くるだろうから、その手の輩がいくら騒ぎ立
てたところで何でもないことになってしまい
そうだが、その種の騒ぎ立てが石破ショック
で円高株価大暴落という騒ぎ立てだとすれば
馬鹿げたことには違いなく、しかもそれで日
本終了だというのだから、さらにそれが馬鹿
げた終了になってしまって、そんな空騒ぎに
右往左往して一喜一憂していたらどうなって
しまうのかと心配するはずもなく、それ自体
が空騒ぎイベントには違いなかったのだが、
ユーチューブで空騒ぎしている嘘っぽい偽投
資家のような人の動画を見ながら、なるほど
これがエンタメなんだと理解してしまうと共
に、理解じゃなくて誤解なのかも知れないし、
その人が偽投資家だと誤解しておいた方が安
心できるわけで、馬鹿な奴が演技じゃない範
囲で騒いでいるはずもないと思っておけば一
安心できるわけだが、そうやって視聴回数を
稼いでいるのかと理解するしかなく、こんな
奴がメディアで蔓延っていること自体が日本
が終了していることの証しなんじゃないかと
深刻ぶるわけにも行かないのだが、それとワ
ンセットになった別の騒ぎ立てとして毎度お
馴染みのネトウヨ系の騒ぎ屋が、本物の投資
家は石破ショックなんて言葉は使わないと空
騒ぎの後始末の火消しのようなことを言い放
って、自民党に対するマイナスイメージの払
拭に躍起となっているのを見ながら、ああこ
いつは高市が総裁になるのを信じて疑わなか

った奴だと見ておけば、そこでも一安心して

しまうわけだが、なるほどこいつが敗戦処理

投手のような役目を引き受けているのかと理

解しておけば良さそうだが、そんな表面的な

理解で構わないのかというと、そういう面で

はそうだが、それとは別の面ではまずいと思

うなら、ではどういう面ではまずいのかと問

いたくなってくるわけでもなく、それではま

ずい面というのがすぐには思い浮かばないか

ら、そういう一過性の空騒ぎによって忘れて

ほしい過去の不正疑惑があるだのないだのと

言いたいわけでもなく、単純に金儲けのため

なら手段を選ばないし選べない輩が、その種

の空騒ぎに便乗して見え透いた罠を仕掛けて

くるのを見過ごすわけには行かない程度のこ

とで何か述べようとすると、そんなことを述

べているだけに終わってしまうから、それで

はまずいと思いたくなってくるのだが、そう

思いたくなっているのに、実際には述べてい

ることを正当化しようとしているわけでもな

く、それよりはもっとその場で起こっている

事態から距離を置いて、場合によっては突き

離して観るような動作も伴ってくるから、そ

れが何なのかと疑念を抱くのだが、それ自体

はそうだとしても、あくまでもそれが表面的

なところで起こっていることであって本質的

なところではそうではないとしたら、では何

がそこで起こっていることの本質なのかと問

うなら、何とかしてそこから人々の関心を逸

らそうとしていると理解しておけばいいのか

も知れないし、できればそれとは別の方面へ

と関心を向けてほしいわけで、その関心を向

けてほしい方面とはそこで見せかけられて演

出された儀式的な成り行きが支配している方

面で行われていることであり、それを自然な

事態の進行だと錯覚する限りにおいて、物事

の本質を見逃してしまうわけで、そうではな

くそれを観ることによって馴致されてしまう

感覚を疑わなければならないのに、そうなっ

ていることを当然視してしまうことがその種

の儀式を取り仕切っている勢力への支持に結

びついてしまうことを自覚しろと誰に諭され

るわけでもないが、諭されるまでもなく理解

しなければならないことだと言いたくなって

しまうのだが、それが余計なお世話であって、

そこで儀式的な行事が行われているのを多く

の人々に観させることが彼らの真の目的だと

言っても、それが何の目的なのかわかるはず

もない人が大半を占めるかも知れないが、観

させられていることがそれを支持しているこ

とに結びつくような自覚などないはずで、実

際にもそんなことまで思い至る人など誰もい

ないだろうが、たぶんその種の儀式的な行事

を行なう目的とはそういうことなのであり、

それが誰もが承知しておくべき暗黙の了解事

項だとも思えないが、ではそんな洗脳的な効

果のある儀式など見ないようにすればいいわ

けではなく、むしろよく観た方がいいわけで、
それを観ながら違和感や抵抗感を覚えること
が重要なのかも知れず、逆にそれを観て自然
の成り行きのように感じられて何の抵抗感も
違和感も感じない人が、儀式を執り行う勢力
を支持するように洗脳されていると思ってお
けばいいのではないか。

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