彼の声 2024.9.28 「新自由主義と緊縮財政」 | 彼の声

彼の声 2024.9.28 「新自由主義と緊縮財政」

voice-164

 新自由主義を批判する奴らの言っているこ
との何が許せないかというと、そいつらがわ
ざと批判しやすい都合の良い部分しか言って
いないのに、そんな主張を正当化しても構わ
ないはずがないが、では何がそうなのかと問
われるところで、それを緊縮財政だと批判す
るやり口が詐欺的な物言いなのは誰もが薄々
勘づいているところかも知れないが、世の中
の馬鹿な奴らを味方につけるためにわざとそ
んなことを主張しているとしか思えないから、
ますます人を馬鹿にしたクズどもだと怒りが
込み上げてくる前に、彼に対抗して何かもっ
ともらしいことを主張する必要性を感じてし
まうのだが、それがどうも違うような気もす
るから迷いも生じてきて、案外積極財政派の
主張もあながち間違っているわけでもないの
ではないかと反省してみるのだが、それでも
ひと口に政府の予算と言っても、普通に無駄
な部分を削ることを緊縮財政だと批判されて
はおかしいし、行政改革を否定するのも根本
的に間違っていると思えるし、そういった批
判や否定のレベルが詐欺のような物言いとな
っているから信用できないわけだが、しかも
二十世紀の社会主義国が大きな政府で失敗し
たことに関しては左翼のせいにする一方で、
ヒトラーやムッソリーニなどのファシストの
失敗には意図して言及しないし、本当にこい
つら人間のクズなんじゃないかと腹が立って
仕方がないわけだが、こみ上げてくる怒りを
抑えつつも、少しは冷静になって心を落ち着
けて考えてみなければならないのだろうが、
それでもひと口に行政改革と言っても、効率
化を図ることをすぐに民営化だ新自由主義だ
と批判しようとするからおかしいわけで、大
阪周辺で維新がやったことを新自由主義だと
レッテル貼りしたくてしょうがないような、
これも詐欺的に新自由主義を貶めるやり口な
のだろうが、いちいち腹が立って冷静になっ
て考えさせないように絶えず煽り立てをやろ
うとするから、そこでも怒りがこみ上げてく
るわけだが、さらにたたみかけるようにして
小泉郵政民営化だ竹中平蔵だと、これが悪夢
の新自由主義なんだと印象操作がしたいだろ
うから、何か呆れてものも言えないような気
分にさせるわけで、そういうところを恣意的
に切り取って否定的に誇張しながら悪く言え
ば、その通りのひどい印象へと持って行ける
だろうが、本当に新自由主義とはそういうこ
となのか?と疑念ばかりが募ってきてしまう
わけで、もちろんそういうことをやっている
奴らは何とも感じないどころか、正しいこと
を主張している気になっているのかも知れな
いが、彼らがわかっていないことが何かとい
っても、物事には多面的な傾向や性質があり
そうなのだが、さらには矛盾する傾向や性質
もありそうで、場合によっては積極財政と緊
縮財政を同時並行して推し進めなければなら
ないのかも知れず、それを〇〇主義だと一つ
にまとめるようなことではなく、場合によっ
ては新自由主義と社会主義とケインズ主義を
混ぜ合わせたようなことになってしまう可能
性もあるわけで、ひと口に言えるような傾向
に振り切れるわけには行かない事情や経緯が
いくらでも生じてくるから、結果的にはその
中でも部分的には新自由主義的な傾向も必要
になってしまうのかも知れず、そういう部分
だけ切り取ってそれを悪く言えば済んでしま
うようなことではまずいのかも知れないから、
実質的には様々な傾向となるような物事を組
み合わせて動く成り行きになるなら、何かそ
れがひと口には言えないような活動になって
くるわけで、今回の出来事も野田が立憲民主
の代表になって石破が自民党の総裁になった
から、さっそくどちらも緊縮財政派だから駄
目だと批判するような輩が出てきたのだが、
そういうことを述べる人にとってはそれが正
しい認識であり正しい意見になるとしても、
それで構わないなら世話ないような感想を抱
きながらも、では自分はどう受け止めている
のかというと、野田と石破が表面的には対立
を装いながらも、双方の意図や思惑を超えて、
結果的には意識せずに連携し合うような成り
行きが予想できるにしても、それが気に入ら
ない人からすれば財務省の意向を反映してい
るのだと主張したくなるだろうが、たぶんそ
れがちょっと違うのかも知れず、どう違うか
が今後明らかになればわかりやすいだろうが、
明らかにならないまま野田も石破も退場を強
いられるかも知れないし、何かが起こった際
にはその場で現状追認のような認識になって
いればそれで構わないかというと、後追い的
なところではそれでも構わないだろうが、双
方共に少なくとも岸田よりは骨のある人間だ
と見られているから、それがどういう面で骨
のある人間であることが証明されるかという
と、簡単に言うならその場で生じている物事
の流れにいかに逆らえるかで、そういう雰囲
気が醸し出されてくるわけだろうが、岸田の
ようなあからさまなごまかし答弁ができるか
というと、石破がそれをやってしまうと人格
崩壊となりかねない予感もするのだが、誠実
な受け答えをしないと石破が石破ではなくな
ってしまうだろうし、まさか岸田のような誰
が見ても無責任極まりないクズ人間に見られ
ることに石破の精神が耐えられるかというと、
それをやってしまう石破の姿が今のところは
想像できないわけだが、そういうところで相
対的に石破の人間性の方が中身が空っぽでも
平気な岸田よりは信用できそうなのだが、人
として強いのは岸田の方なのだが、岸田のや
り方では誰からも尊敬されないし、ある意味
で無敵の人なのだろうが、岸田の業績と言え
るようなことが肯定的な意味であるかという
と、あるとは思えないから、岸田のようにな
ってはまずいと誰もが思うところだが、岸田
もなりたくてそうなったわけではなく、否応
なくそうならざるを得ないような成り行きに
従うしかなかったのであり、それは河野太郎
にも言えることだろうが、人間的な欠陥がも
ろに出たと見えてしまうのが、岸田も河野も
立場が違っていたらそうは見えなかったはず
で、普通の一般人程度の立場だったら、その
程度の人間などいくらでもいる程度の認識で
済んでしまうような人物であり人格なのだろ
うが、それがその場の成り行きで否応なく人
としての欠陥がこれ見よがしに目立ってしま
って、誰から見てもひどい奴に見えてしまう
ような結果に至ってしまったのだから、そう
いうところが野田や石破になるともっと骨の
ある人間としての土台が備わっているように
見えるのだが、それがどう壊されて削られて
行くかが、今後の見どころだと言えるかどう
かも現時点では明らかにはなっていないよう
な気がするわけだ。

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