彼の声 2024.5.7 「物の価値」 | 彼の声

彼の声 2024.5.7 「物の価値」

voice-162

 画家が奇妙な絵を描こうと思えば奇妙な絵
になり、彫刻家が奇妙な彫像を彫ろうと思え
ば奇妙な彫像が出来上がりそうだが、果たし
てそれが思い通りの作品になるかというと、
そうでもないなら何がまずかったのかという
と、何もまずくない場合もありそうだが、そ
れが失敗作だとは言えないとしたら、オーク
ションか何かで高額な値がついて世間で話題
となるような作品が失敗作であるはずがない
という先入観が世間の常識的な認識を形成し
ているなら、それで構わないようなことにな
ってしまい、それを描いたり作った当人が失
敗作だと思っていても、世間がそれを認めよ
うとしなければ、ではどちらの言い分が正し
いのかと言えば、もちろん当人だと思いたい
が、高額な価格で買った美術館などからした
ら、当人の言い分など無視せざるを得ないか
というと、それ以前に普通は失敗作など世に
出さないだろうし、自分の死後失敗作などが
残っていたらまずいから廃棄してしまいそう
だが、普通は逆で、当人が凄いものを作った
と思っても世間が認めてくれない場合がほと
んどなのかも知れず、そういう成り行きであ
れば世間も安心するかというと、社会の片隅
で意味不明な誇大妄想に取り憑かれた頭のお
かしな素人が、自身の拙劣な絵や彫刻などを
いくら傑作だと言い張ったところで誰からも
相手にされないようなら、その作品も埋もれ
たままとなってしまいそうだが、そんな中か
ら偶然に美術評論家や画商の類いの目にとま
って、これは売れると踏んだのか、あるいは
有名な展覧会の公募に出品して審査員からそ
れなりに高い評価を得られる場合もありそう
だが、何かしら権威的な立場の者からお墨付
きをもらえば世間も認めないわけには行かな
いだろうから、そういう経緯で世に出てきた
作品が失敗作であるはずがないという先入観
を抱いてもそれほど不思議ではないが、芸術
作品ではなく商業娯楽映画の類いなら、たと
え批評家の類いがボロクソに貶すようなもの
でもそれなりにヒットするだろうし、昔流行
ったテレビ局とのタイアップ企画などでベス
トセラー漫画や小説が原作のものなら宣伝効
果でひどい出来の映画でもそれなりの観客動
員数を記録した作品がいくらでもあったはず
だし、作家がすでに固定客となるファンを大
量に抱えているようなら、例えば村上春樹で
あればデビュー当時から延々と文藝批評家の
類いに貶されまくって、失敗作と言われる小
説をいくら世に出しても世間が認めてしまう
ような存在もいるわけで、そうなると価値が
なくても売れるという逆転現象に戸惑うわけ
もなく、価値がないと言われるものが、それ
を買って消費する多くの人々にとっては価値
のあるなしというよりは、消費者が満足でき
るものならそれで構わないことになり、結果
的には消費者が満足できるものに価値がある
という真っ当な理屈が成り立っているように
思われるが、いったん買ってから不満を抱い
ても、買った時点では満足できると思って買
ったわけだから、買ってから失敗したと思う
なら、自身の価値判断が誤っていたか、ブラ
ンド価値に騙されたと思うかも知れないが、
中には村上春樹の小説を貶すために買って読
む人もいるかも知れず、そんな人にとっては
貶す価値があるから買うという理屈も成り立
つかも知れないし、今回も失敗作だと貶すだ
けなら買わずに図書館で借りて読むという選
択肢もありそうだが、そうなるとそんな妙に
ひねくれた感情に囚われているようなことに
もなってくるだろうから、貶す側に問題があ
るような気もするわけで、失敗しているのは
そっちなのではないかと邪推されるようなら、
貶すこと自体に価値がないということにもな
ってくるかも知れないが、そういうことまで
考慮に入れてしまうと、価値自体にそれほど
こだわる必要があるのかと疑念も募ってきて、
価値があるから買うわけでもないと考えるな
ら、必要だと思うから買うと単純に考えても
良さそうで、それが本当に必要かどうかは、
買ってからわかったりわからなかったりする
かも知れないが、買ってから失敗したと思っ
ても、価値がないものを買ってしまったり、
必要もないのに余分なものを買ってしまった
りしても、買えるだけの金銭的な余裕があっ
たことになるが、資金を借りてまで買ってか
ら失敗したと思うなら、素直に自身の過ちを
認めて反省するしかないし、そこから自身が
破産したりすれば、それなりに深刻な事態に
陥っていることになるだろうが、政府の負債
がどんどん増えているのに、負債を増やして
いる当事者が反省する気配もないようなら、
それで構わないようなことでしかないが、負
債を減らそうとすると批判されるような状況
になってくると、負債の減らし方が悪いとい
うことにもなってくるだろうが、これから政
権交代でも起こって、立憲民主を中心とした
連立政権でも発足したら、たぶん政府の負債
を減らそうとして、積極財政派から批判され
ることになるかも知れないが、果たしてそう
なってから、何をどうすることが良いことな
のか、あるいは何をどうやっても悪いことに
されてしまうのか、そういうところで普通に
考えて価値があるということが、普通でない
ひねくれた考え方によってねじ曲げられてし
まうとすれば、たぶんそういうねじ曲げに価
値があるとかないとかではなく、結果的に何
が行われているかに注目できるか否かに関し
て、そうなった時点でそれを評価したりしな
かったりする人の姿勢や態度として問われて
くるのかも知れない。

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