彼の声 2024.3.21 「二項対立と共犯関係」 | 彼の声

彼の声 2024.3.21 「二項対立と共犯関係」

voice-161

 何かしら意見を述べている人が世の中で実
際に生きていて、それなりに暮らしているわ
けだから、その人の生活や活動が成り立って
いる範囲内で、その人の生活や活動にとって
都合の良い意見や主張が生じてくると捉えて
おけばいいのだとしても、意見や主張がその
人の生活や活動とは全くの無関係であったら、
そんな意見や主張には全くリアリティを感じ
られないかというと、そこが微妙なところで、
生活や活動とは直接関係がなくても何かわか
りやすい喩え話を持ち出して、それに絡めて
他人のやっていることを批判したり非難する
ような手法となってくると、浅はかな人だと
それに納得してしまうようなことにもなるか
ら、そんなまやかしの意見や主張には全くリ
アリティが感じられないわけではなく、それ
が言語的なまやかしだからこそ、そんなまや
かしにも納得できる範囲内でリアリティが感
じられるのかも知れず、それに関して例えば
他人のやっていることを自動車の運転に喩え
て、まるでアクセルを踏みながらサイドブレ
ーキを引いているようなものだと揶揄するな
ら、それでは自動車が動かないと言いたいの
だろうが、単純に考えるならそうだとしても、
実際の動作としては、見せ物のパフォーマン
スとしてエンジンを派手に空吹かしした後に
ブレーキをかけながらクラッチを繋いで、タ
イヤを空転させて地面との摩擦から白煙が濛
濛と舞い上がるようなことをやって見せる場
合もあるわけだから、他人のやっていること
を自動車の運転に喩えるだけでは不十分であ
ることが想像できてしまうわけだが、こう述
べてしまうのもわけのわからない意味不明な
ことを述べて他人を煙に巻くような言語表現
なのだから、これも一種のまやかしには違い
ないのだが、肝心の批判や非難の対象となる
他人のやっていることというのが、他人自身
にはどうにもならない経緯や事情から否応な
く巻き込まれている成り行きの中でそんなこ
とをやらざるを得ないことをやっているとな
ると、それを批判したり非難せざるを得ない
ような立場や境遇となっている人たちも否応
なくそれを批判したり非難せざるを得なくな
って、それらの人たちの全てがそうならざる
を得ない成り行きに巻き込まれていることに
なってしまうとしたら、そんなどうしようも
ない立場や境遇やそうならざるを得ない経緯
や事情が、果たして逃れようと思えば逃れら
れるようなことなのかということが、それら
の人たちにはどうやっても逃れられない運命
に囚われていたのかと問うなら、結果的にそ
うなってしまったのだから、そうなった後か
らああだこうだ言ってみてもあまり説得力が
生じるとは思えないが、そんなことをやって
いる当人からすればまるでアクセルを踏みな
がらサイドブレーキを引くような動作となっ
てしまっているとしても、そうやって自身の
生活や活動を維持している現状の中で否応な
く動作している限りで、その是非を言う立場
にはなく、それを他人から批判されても非難
されても、そういう動作が維持されている限
りはそれを続けざるを得ないような状況の中
で生きているのだから、それをとやかく言い
たい人には言わせておけばいいようなことで
もあるから、いくらそれを他人から批判され
ようと非難されようと馬耳東風を装うしかな
く、そんな動作が維持できなくなって、自然
とそれとは別の動作が生じてくるまでは、そ
れを続けて行くしかないのかも知れないが、
その一方でそれに対する批判や非難自体も、
そんな動作が行われている限りでそれに対す
る批判や非難として成り立っていて、それが
行われなくなってしまえばそれに対する批判
や非難も意味をなさなくなって、そんな批判
や非難をすることによって活動が成り立って
いる人たちも、それとは別の批判や非難の対
象を探さなければならなくなるから、いつま
でもどこまでも批判や非難を続けたいなら、
その批判や非難の対象となる動作が行われて
いた方が都合が良いわけだが、そういうこと
まで考慮しながら批判や非難が行われている
とは思えないし、どちらかと言えばそれをや
めさせるためにそれに対する批判や非難が行
われているはずなのだが、いつまでも継続的
に批判や非難が行われているなら、批判や非
難によってはそれをやめさせられないことが
証明されてしまうから、そんな批判や非難自
体には何の効力もないどころか、逆にそれを
批判したり非難することによってそれを継続
させる効果があるのではないかと疑われてし
まうなら、それを批判したり非難する人たち
もその批判や非難の対象となることをやって
いる人や団体と共犯関係にあることも疑われ
てしまうかも知れないが、普通はそんなとこ
ろまで思考が及ぶ人などまずいないだろうか
ら、それとこれとが予定調和の二項対立を形
成している程度の認識や見解によってお茶を
濁すような結果に落ち着くのかも知れないが、
具体的に何がそうなのかといったところで、
単純に右と左の二項対立や共犯関係が想像さ
れてしまうのだろうが、実態としてはそんな
単純な関係ではなく、もっと込み入って錯綜
しているような複雑怪奇でその全体を把握し
難い状況となっているから、そんなことにま
で言及するのは面倒臭くなってくるからわか
りやすい単純な構造や構図を提示するだけに
とどめてしまうのかも知れないが、さらにそ
れを単純にわかりやすく表現するなら、何か
目立つことが行われていて、それに対してこ
れ見よがしに批判したり非難している人や団
体も存在するなら、それを行なっている人や
団体がアクセルを踏んで自動車の後輪を回転
させる役割を担っている一方で、それを批判
したり非難している人や団体がブレーキを踏
んで前輪をロックする役割を担っていて、そ
れがメディアを通じた見せ物のパフォーマン
スとして、アクセルとブレーキを同時に踏ん
で轟音を轟かせながら後輪を空回りさせて地
面とタイヤが激しく擦れて白煙が濛々と舞い
上がっている光景を思い浮かべればいいのか
も知れず、ではそんな見せ物のパフォーマン
スによってどんな利益がもたらされているの
かというと、何か目立つことをやっている人
や団体とそれを批判したり非難する人や団体
の双方にメディアを通じて何らかの利益がも
たらされているのはわかるが、それが単に企
業が提供する商品の広告宣伝費だけとは限ら
ず、派手なパフォーマンスを見ている観衆に
も何かしら利益がもたらされていて、それが
暇つぶしや憂さ晴らしからもたらされる利益
だと見なすなら、そういう見せ物を見ること
によって英気を養って、自らの仕事に取り組
むことによって利益を得ようとしているとし
たら、人々のやる気を鼓舞するようなパフォ
ーマンスであったことが証明されるかも知れ
ないが、誰がそれを証明してみせるわけでも
ないだろうし、結果的にそうなっているのを
いい加減な言説によって説得力のない説明を
しているに過ぎないだろうが、その種の催し
物を主宰している人や団体としては、できる
だけ多くの人々がそれを見に来てほしいだろ
うから、メディアを通じて派手にそんなパフ
ォーマンスを宣伝して、そんなことを大げさ
に騒ぎ立ててこれ見よがしに批判したり非難
することも、そんな宣伝に際して行われるパ
フォーマンスに含まれていることをメディア
関係者の誰もが承知しているのかも知れない。

https://www.koike-t.org