彼の声 2024.3.12 「当事者感覚」 | 彼の声

彼の声 2024.3.12 「当事者感覚」

voice-161

 当事者ではない人がどんなにもっともらし
い理屈を持ち出して意見を述べても、その人
が当事者ではないことが、その人の述べてい
る意見がある程度以上の説得力は持ち得ない
ことになるだろうが、その人の意見がそれ以
上の説得力を得るには、その人自身が直接の
当事者となって、その人が取り組んでいるこ
とがそれなりの成果を上げる必要が出てくる
のだが、もちろん当事者にならないとそれを
批判できないわけではなく、批判するのはい
つも決まって当事者ではない人たちが当事者
を批判するわけで、当事者のやっていること
がおかしいと思うなら、当事者ではない人が
それを批判するしかないわけだが、その批判
がおかしいならさらにそれを批判せざるを得
なくなるだろうが、そうなるともうそんな批
判を批判するような行為に説得力があろうと
なかろうと、そんなのはどうでもいいとは言
えないにしても、大したことではないと思う
しかなく、そういう意味で批判が有効となる
のは、直接の当事者を批判すること以外には
あり得ないが、それに関しては、例えば日本
政府が長年にわたって国債を発行し過ぎて、
他の国の政府と比較して国債の額が突出して
多いという印象があるわけだから、それを批
判するのは当然といえば当然の成り行きだが、
中にはそうではないと主張する人もいても構
わないし、そういう人がもっと国債を発行し
ても大丈夫なのだと主張するにしても、その
人が国債を発行する当事者でなければ、どん
なにその人が持ち出してくる理屈や理論の類
いがもっともらしく思われても、主張してい
ること以上の説得力が得られるわけでもなく、
それはその程度のことだと受け止めるしかな
いわけだが、それとは別の水準で、政府が国
債を発行し過ぎるという傾向が、政府という
存在にまとわりついてくる危うい傾向なのは、
実際に債務超過や財政破綻という事態に直面
してしまう政府があるわけだから、そうなれ
ば政府としてはまずいわけで、そうなってし
まう事態を避けるためにも、政府に直接関わ
っている当事者としては、できれば国債の発
行は抑制した方が良さそうに思われるだろう
が、もっと国債を発行しろと騒いでいるのが、
今のところは弱小政党のれいわ新選組の政策
担当者や財務省陰謀論に凝り固まった積極財
政派を自称する人たちだから、それらの人た
ちの主張など無視できる程度の影響力しかな
いのかも知れないし、そういう人畜無害な人
たちの存在ではなく、もっと何か人の意図や
思惑や意思や意志や意向などを超えたところ
で発動する力が、政府が国債を発行し過ぎて
しまう傾向をもたらしていると状況を捉える
なら、そういう傾向を人為的に押しとどめる
のには多大な困難が伴うと理解した方が良い
のかも知れず、もちろんただ一方的にそうい
う傾向が強まっているわけではなく、そうい
う傾向を抑える力との絶え間ないせめぎ合い
の中でそういう傾向になっているわけだから、
それらの力をうまく調整して行き過ぎない状
態にとどめておく以外にはやりようがないの
かも知れないが、少なくとも現状の日本政府
の状態では、まだ債務超過も財政破綻も明ら
かにはなっていないわけだから、そうなって
いる限りでかろうじて均衡が保たれていると
見ておくしかないのだろうが、それよりはも
っと根本的なところで、政府の予算が何に使
われているのかが政治的な議論の対象となっ
ていて、おかしなことに莫大な予算が浪費さ
れていると批判されることになるのだろうが、
それも結果的にそうなってしまう経緯が否応
なくどうすることもできない成り行きに囚わ
れてそうなってしまうのだから、そんな結果
をいくら批判されても、そんな経緯や成り行
きに囚われて予算を計上して使う立場の当事
者としては、それも結果的に自分たちの立場
を正当化することになるわけだろうが、そう
いう制度的な成り行きも外部からの批判を受
けつけない傾向が強いから、それがどうにも
ならない事態をもたらしているわけだが、そ
んな現状から窺い知れることが何なのかとい
うと、政府の予算が何かのために使われてい
ることは確かだとしても、その何かが必ずし
も国民のために使われているわけではないの
はもちろんのこと、果たしてそれが政府関係
者のために使われているのかといえば、ある
意味ではその通りには違いないのだが、それ
によって政府関係者が利益を得ていることも、
それなりに確からしいとしても、それも特定
の立場の人や団体を利するために予算が使わ
れていると言えるような面もなきにしもあら
ずだとしても、たぶんそういうことだけで予
算の使われ方の全てが説明できるとは思えな
いわけで、政府という機構が維持されて政府
が運営している制度を保つために予算が使わ
れていることは確かなのだが、それによって
世の中がどうなるわけでもないものの、それ
に関わって活動する当事者の存在が保たれて
いることも確かであり、それらの存在を保っ
て維持するために予算が使われていて、そう
なっているからといって、それとは無関係で
いられるわけでもないから、それに関係して
いる当事者がそんな予算の使われ方であると
不都合が生じるなら、それではまずいと思っ
て、もっとその当事者にとって都合の良い予
算の使い方を求めるだろうから、そういうと
ころから予算の使い方に関する要求が生じて
くるのだろうが、そういった要求の内容が関
係者や当事者以外にはあまり切実に感じられ
なければ、そんな予算の使われ方などどうで
もいいと思われるかも知れないし、場合によ
って無駄な予算の浪費だと見なされて批判の
対象となってしまうのかも知れず、そういう
ところでも予算の使い方やその額に関しても
っともらしい説明が求められるだろうが、そ
れがどんなにもっともらしく感じられても、
実際にその予算を使った活動が行われてみる
と、大した効果も成果も上がらなければ、そ
こでも無駄に予算が使われたと批判される可
能性が出てくるだろうから、どうなるにして
も結果次第で否定的に受け止められると批判
されて、肯定的に受け止められると称賛され
るかも知れないが、それを受け止める立場の
違いによっても、それを肯定できたり否定で
きたりしてしまうなら、どちらかの立場から
その是非が云々されてしまうだろうが、そう
いう意味でも政府の予算が何に使われるかで、
それに関わってくる立場の違いに応じてその
賛否が分かれるような成り行きも生じてくる
にしても、そういうことの総体として政府が
形作られているわけだから、それだけでも面
倒でわかりにくい事態となっていて、それ相
応にややこしい成り行きを伴っているから、
それに関しては一概に単純なことは言いたく
ないのだが、それでも世論を構成する多数意
見として批判的に言われるようなことが多け
れば、それが改善しなければならないことと
して、要求されるようなことにもなってくる
から、批判の内容にもそんな要求が反映され
てくるのだろうから、実際にそうした要求に
対して政府が応えなければならなくなるわけ
だが、実際に応えているかというと、応えて
いないと批判されている現状があるのではな
いか。

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