彼の声 2024.3.1 「積極財政派と重農主義者」 | 彼の声

彼の声 2024.3.1 「積極財政派と重農主義者」

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 何か嫌な予感がするというのもよくわから
ないが、たぶん今後そのよくわからない何か
が起こって、思わぬところからそれが自分に
関係してくるのかも知れず、よくわからない
段階でそんなことを考えても意味のないこと
かも知れないが、そのきっかけを掴んだよう
な気になって、気になったことについて語ら
なければならないのかも知れず、それに関し
て現状で気になっていることというのが、積
極財政派を自認する人たちの盛んな煽り立て
であり、それらの人たちが以前から財務省陰
謀論を煽る人たちとも合流しながら、盛んに
緊縮財政だと今の政府の財政政策を批判しな
がら、彼らにとっては必ずしも的外れとはな
らないことを日々メディア経由で主張してい
るように見えるのだが、気になっているのが
彼らが強弁している内容ではなく、それとは
全くの無関係に感じられるような18世紀の
フランスの重農主義者たちが主張する自由主
義的な経済政策や経済運営なのだから、それ
とこれとがどう結びつくのかよくわからない
のだが、マルクスがスミスやリカードなどの
古典派経済学に分類される経済学者たちを執
拗に誤っていると批判する一方で、フランス
の重農主義者たちの方が進んでいたと述べて
いるのが、何かの症候的な傾向として、では
実際に重農主義者たちが何を述べていたのか
が気になるところだが、それ以前にマルクス
の労働者が資本家に搾取されている的な紋切
り型の主張を踏襲しているのが、現代の積極
財政派であるだけに、積極財政派の方は大企
業から搾取される零細個人事業者や中小企業
経営者の味方を装うのだから、王国の官僚機
構の側から、レッセフェール(自由放任)と
いう意味で政府が企業や個人の経済活動に干
渉せず市場のはたらきに任せることを主張す
る自由主義的な重農主義者たちとは立場が異
なるどころか、それを規制緩和の新自由主義
だと批判したいわけだから、立場が真逆なの
かも知れないが、怪しいのが経済弱者の味方
を装いながら民衆からの支持を集めようとす
るところなのは、社会主義や共産主義と似た
ような態度なのかも知れないし、そこに積極
財政を絡めるところが社会主義や共産主義と
は少し違うところだとしても、重農主義者た
ちが国の経済的な困窮を救おうとしていたの
と重なる部分もあるだろうから、積極財政派
だけがどうだというわけではなく、そういっ
た傾向に何か根本的におかしい兆候を感じら
れるのだから、それが彼らがおかしいという
ことではなく、彼らも含めておかしな成り行
きに囚われているように感じられるところが、
どう表現すればいいのか今のところはよくわ
かっていないのだが、それに関してミシェル・
フーコーが『君主論』のマキャベリと重農派
との間の決定的な違いとして指摘しているの
が、マキャベリが君主個人が自分の治める王
国をどう統治するのが良いかを論じているの
に対して、重農派は王国の中にいる民衆を個
個人ではなく人口として捉えて、その人口を
増やすことが王国の繁栄につながり、多くな
った人口を養うためにも経済を発展させなけ
ればならないと考えているわけで、そういう
ところが現代の積極財政派の主張の中にも受
け継がれていて、彼らも日本の人口の減少が
経済の衰退につながってしまうから、積極財
政政策によって経済を立て直して人口を増や
して国を繁栄させなければならないと主張し
ているようにも感じられるところが、民衆を
一人一人の個人ではなく、人口として論じて
しまうから、そんなのは現代ではそう論じる
以外にはあり得ないことではあるにしても、
マキャベリが生きていた時代ではあり得ない
ことだったのかも知れないし、一人一人の個
人や、また家族や一族ではなく、人口という
概念が登場してきたことによって、それ以前
と以降とでは国家統治に関して何か重要な違
いが生じているのだろうが、そう論じるのが
当たり前となってしまった現代では、それを
どう表現すればいいのかわからないわけで、
少なくとも民主主義や国民主権のレベルでは、
個人の立場として国家権力と個人との関係か
ら権利や義務などの取り決めが問題となって
くるはずだが、その一方で人口が増えたり減
ったりすると困ったことや有難いことなどの
有利不利となってくることが出てくるにして
も、それも漠然とした感触としては国家が繁
栄すれば民衆も幸せになるような感じがする
かも知れないし、果たして人口減少を食い止
めることも政治的な課題とはなってくるが、
それを個人の立場からどう捉えたらいいのか
というと、確かに過疎化によって行政サービ
スや公共交通や公共インフラなどの維持の面
でも困った事態になると言われると、それな
りに納得できるところはあるにしても、それ
でも何か違和感を覚えるわけで、その違和感
の対象となる症候的な傾向として、積極財政
派による左翼やリベラルな人たちに対して経
済音痴だとか呼ぶ小馬鹿にするような態度に
なるのだとしても、個人の人権を尊重するこ
とが左翼やリベラルな人たちとしては当然の
態度なのだが、それとは全く違うレベルで人
口として経済情勢を捉えてしまうわけだから、
個人の人権の尊重より国家の人口状態を優先
しているわけでもないだろうし、かつてマル
クスがマルサスの人口論を激しく批判して、
人を人口として捉えるのではなく一人一人の
労働者として扱わなければならないと言った
かどうか定かでないが、それに関してはシカ
ゴ学派の新自由主義経済学者の中にも、個人
を経済的な存在として捉えて、個人が生まれ
てから死ぬまでの経済活動の収支とその過程
で生じてくる就職や結婚や子育てなどイベン
トの満足度の関係から良し悪しを判断するよ
うな研究もあるらしいのだが、法律や制度が
個々の個人に対して権力を行使する装置だと
感じられるとしても、それとは別レベルのと
ころで世論調査に関連した世論誘導の対象と
なるのが個々の個人だと思うのも、もしかし
たら勘違いなのかも知れず、そういった作用
や影響を及ぼす装置がマスメディアであるこ
とは誰もが承知しているところだが、そんな
ふうに個々の個人が思っていること自体が、
個々の個人の存在などどうでもいいわけでは
ないにしても、それをひとまとまりの人口と
して捉えて統計的に一定の傾向が出てくれば
それで構わないようなことだとすれば、それ
と自覚することなく個人の人権など大した価
値も感じられないだろうから、それに気づい
ているわけでもないにしても、症候的な傾向
として左翼やリベラルな人たちを小馬鹿にす
る態度となって表れているような気もしてく
るわけだが、そうでなくても積極財政派に対
しては不快な感じがしてしまうわけだから、
たとえ彼ら自身が人権を軽視しているとも思
わなくても、それが18世紀の重農主義者か
ら影響を受けているとは夢にも思わないだろ
うし、そんなことがあるわけがないとも思わ
れるにしても、たぶん微妙なところでそれら
に関わってくる人々の気づかないような何か
を生じさせているのかも知れないし、そんな
ことに気づく必要もないのだろうが、今後そ
れが明らかになってくることもないかも知れ
ないが、相変わらず経済的なレベルでは人を
人口として捉えないと成り立たない論理や理
屈があるのかも知れない。

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