彼の声 2024.1.11 「機能主義と実用主義の盲点」 | 彼の声

彼の声 2024.1.11 「機能主義と実用主義の盲点」

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 価値観の分散というと単純にランダムかつ
デタラメに分散しているわけではなく、何ら
かの程度や傾向を伴って分散しているはずだ
が、その程度や傾向に応じて価値観の違いが
明らかになるわけでもないのかも知れず、何
かそうではないような分散とは違った成り行
きに囚われていて、それが分散とは逆の集中
だと単純には言えないような複雑でこじれた
様相を呈しているからわかりにくく、ただ単
に分散しているわけでもなく、分散している
からどうだということも言えないが、価値観
の違いから何が言えるわけでもなければ、価
値観の違いなど持ち出さなくても、ある一定
の程度や傾向から何かもっともらしく言える
ことがあり、それが機能への信仰というと何
か宗教のような意味で解釈したくなってくる
が、たぶんそれに囚われている誰もが信じら
れないようなことを当たり前のように信じて
いることに気づいていないのかも知れず、何
が信じられないのかといえば、逆にそれを信
じているからこそ信じられないというと、ま
すますわからなくなってくるが、人が機能的
に生きているというと、自身を取り巻く環境
の中で自らを機能させようとするのだろうが、
機能させないとまずいのかというと、社会の
中である一定のレベルで機能していない人間
は役立たずだから不要なのかというと、そん
なことはないと思いたくなり、生きているこ
と自体が何かしら機能している証拠だと言い
たくもなるが、死んでいる人も死してなお機
能している場合もあるから、生きているから
といって、機能に絡めて生きている状態を正
当化するのもちょっと違うような気もしてく
るのだが、何かそこに遂行すべき目的があり、
その目的に応じて機能していれば、その目的
が誰もが遂行すべき目的となるわけでもなけ
れば、そんな目的に応じて機能している人を
手放しで賞賛するわけにも行かなくなるが、
そこに多種多様な目的があって、そんな多種
多様な目的に応じて機能している人も多種多
様に存在していると社会の現状を捉えれば、
それでも社会の中で暮らしている誰もがその
存在を認められることにはならないし、社会
を維持発展させる方向で機能している人は認
められるが、社会を壊したり衰退させる方向
で機能している人は認め難いどころか、場合
によっては何か適当な理由をつけて抹殺した
くなってくるかも知れないが、では社会が果
たして現状のままでも構わないのかいうと、
社会の様々なところで不具合や歪みが生じて
いるから、それを直したり治さなければなら
ないと主張している人もいるから、そういう
人や勢力を社会を破壊する人や勢力だと見な
して攻撃を仕掛けているつもりの人や勢力も
いるわけで、そうなると社会の中で暮らして
いる人々の間で価値観の違いが生じていると
単純に理解するわけにも行かなくなり、そこ
から主義主張の違いへと論点が移動するとも
言えないかも知れないが、様々な用途に合わ
せて人々が機能しているから社会が成り立っ
ていると結果論的に解釈するだけでは済まな
いような感じになってきて、そうではなく絶
えず無駄に機能していない人が一定数の割合
で存在していないと、社会の流動性も生じて
こないだろうし、そういう人たちの中から新
たな機能が生じてきて、結果的に世界の変化
に応じて社会も変化できるようになると解釈
すれば、よりもっともらしい説明には感じら
れるだろうが、果たしてそんな機能主義的な
観点から人の社会性を説明しても構わないの
かというと、やはり倫理的な観点から人をま
るで機械やロボットのように扱うなと批判さ
れるだろうから、何かが欠けていることは確
かだろうが、そこから宗教などを持ち出して
人の心の状態を弄ぶような思考や思想も出て
くるのだが、ただ単に人が社会の役に立つか
立たないかといった機能的かつ実用的な観点
から特定の人物や勢力を評価したりしなかっ
たりするレベルでは、それで話が済んでいる
うちはそういうことを主張していれば、何か
もっともらしいことを言っているように感じ
られるのだが、そこから人は機械でもロボッ
トでもないという反論が出てくるようなレベ
ルへと話が移行して行くと、では機能主義や
実用主義以外に何かもっともらしく納得でき
るような価値観を持ち出せるのかとなると、
もっともらしくは思えないし納得できないか
も知れないが、そうかといってあからさまに
宗教を持ち出すのは煙たがられるだろうから、
心理学や社会学などの助けを借りてわかった
ようなわからないようなことを述べれば、人
を煙に巻くことはできるかも知れないが、難
しいことには背を向けて無難に立ち回るには、
わからないことよりはわかりきったことを強
調するに越したことはなく、そうなると人を
目的意識へと誘導して、他のややこしくも面
倒なことには触れないようにすればいいわけ
で、それが自由という名の方便になってしま
うとしても、例えば資産の最大化を目指した
いとか、生活にゆとりや潤いをもたらしたい
とか、物心両面で満足感を得たいとか、ただ
単に豊かな生活を送りたいとか、逆に貧しく
とも心清らかに生きて行きたいとか、特定の
ありふれたテーマに目標を絞り込んで、それ
の実現を目指して日々努力を重ねて精進して
行けばいいような単純な目的思考であること
を建前としては主張できるにしても、日々の
実生活の中で本当にそんなことをやっている
のかというと、自分の実体験として到底信じ
られないというか、それよりは怠惰で何もし
ていない割合の方がはるかに多いから、建前
として出てくるありふれた目的や目標などは、
メディアを介して商品の宣伝や広告やアンケ
ートなどの中で言われていることであり、そ
ういう目的や目標をメディアに接する度に意
識に刷り込まれるから、無意識のレベルでは
信じているつもりだろうが、そんな成り行き
について改めて思考を巡らせると、メディア
からの刷り込みに対する抵抗や反感などが芽
生えてきて、実際に自分の生活実感から言え
ることになってくれば、何もしないで退屈を
持て余している時間の方がはるかに多いわけ
だから、それらの目的や目標を信じているつ
もりなのだが、実際にはそのことごとくが自
分の何もやらない行為によって裏切られてい
るような実態があるわけで、それがメディア
からの宣伝攻勢に抵抗したり反感を抱いてい
るからそうなっているわけではなく、ただ単
にやろうとしてもできないという能力不足で
あるような気もするから、そういう意味では
機能主義も実用主義も自らの生活の中では通
用しておらず、それらはいつも自堕落な怠惰
に負けていることになるのではないか。

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