彼の声 2024.1.5 「予見の不確かさ」 | 彼の声

彼の声 2024.1.5 「予見の不確かさ」

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 これまでの経緯に対する一応の感想として
は、そんなはずがないとは思うが、何がそう
なのかといえば、こうなることが予見できた
と思うなら、それはこうなった結果からそう
思われることであり、これとは別の結果が出
たとしても、やはりこうなることは予見でき
たと思いたいわけで、結局どうなったとして
も、こうなることは予見できたと思いたいわ
けだから、仮にこうなることが予見できなか
ったとしても、いったん結果が出てしまった
後からは、やはりこうなることは予見できた
と思いたいわけだから、何かを予見できると
思ってしまうことが、いかにいい加減な思い
込みに基づいているかが、薄々勘づいている
としても、こうなった結果からそう思われて
しまうのだから、予見の不確かさを考慮に入
れておかないと、起こったことに対してそれ
を謙虚に受け止められなくなってしまうのか
も知れないが、それに関してもっともらしい
ことを言っている人の意見を聞いてみると、
言っていることのことごとくがもっともらし
くて納得できるようなことを述べているのに、
なぜかそう思われるからこそ今ひとつ信用で
きないという逆説的な思いが募ってきて、言
っている内容の辻褄が合っているどころか、
妙に辻褄が合い過ぎているから逆に疑念が湧
いてくるというおかしな感覚に囚われてしま
うのだが、正しいことを述べているに違いな
いのだが、その正しさが信用できないならで
はどう述べれば信用できるのか、その辺がよ
くわからないのだが、そうとは言えない面が
言っている内容から窺い知れないと信用でき
ないとなれば、一方的に正しいのではなく、
誤っている可能性もあるようなグレーゾーン
的な領域で語っている内容が信用に値するわ
けでもないのだが、それでも妙に辻褄が合い
過ぎている言説よりは幾分マシに思われてし
まうわけだから、そんな内容ならそれほど信
用することはできないが、ちょっとだけ信用
できる程度の内容の方がなぜかしっくりくる
わけで、そういうところが話の辻褄が合い過
ぎることを語って、他人を納得させて信用や
信頼を得ようとする気満々なことを主張する
人が陥りがちな錯覚なのかも知れず、それは
錯覚ではなく確信に違いないのだが、そうい
うことを語っている当人にとっては確かに確
信に値することを語っている気でいるのだろ
うが、それを直接聴いたり書かれている内容
を読んだりする側にとっては、何か違和感が
伴ってくるから、逆に違うような気がしてく
るわけで、その違いをどう説明したらいいの
かよくわからないのだが、うまく説明できな
いから下手な説明になってしまい、結果的に
信用に値しない内容となってしまうかも知れ
ないが、それでも構わないわけで、何かが起
こった後からもっともらしくて話の辻褄が合
うことを主張して他人を納得させようとする
よりは、実際に納得し難いことが起こってい
ることを感じ取る必要があると思うのだが、
間違ったことをやったのがまずかったという
よりは、間違うしかないような成り行きに囚
われてしまっていることを感じ取っているか
ら、そんな成り行きに囚われながらも間違っ
ていることをやらざるを得ない勢力を支持す
るか、さもなければ無関心を装うことしかで
きないのが、大多数の人々が陥っている心理
状態なのかも知れないが、そんな人々に向か
っていくらもっともらしいことを述べて支持
や賛同を募っても無駄なのかも知れず、今は
彼らの自業自得な惨状を放っておくしかない
としても、彼らのさらなる自滅な成り行きに
寄り添いながらも、そんな人々がどんどん自
滅して行くのとは反比例して上昇する成り行
きに囚われなければならないと言ってみたと
ころで、果たしてそんな成り行きがどこで生
じているのかといえば、それが今ここで生じ
ている成り行きであり、すでに自滅してしま
った人々の屍を無情にも踏み越えて前進しつ
つある成り行きを形成しているはずだが、そ
んな人々がやっていることが積立NISAの
類いだとしたら笑ってしまうだろうが、それ
に類することかどうかは定かではないが、昔
は中国ファンドとかいうちょっと紛らわしい
名称の金融商品が盛んに宣伝されていた記憶
があるのだが、ちょっと調べてみると正式名
称が中期国債ファンドとかいう投資信託の類
いなのだが、バブル全盛時に金余りの富裕層
あたりが購入していたのだろうが、昔はそん
なブームで誰が盛り上がっていたのか記憶が
定かではないが、そういった資本主義経済の
上積み的な部分で優雅に活動していれば、そ
れとは真逆の下積み的な部分で押し合いへし
合いしながらもがき苦しんでいる人々のこと
など気にする必要などないかも知れないが、
上積み的な部分でも競争が激化すれば、そこ
から振るい落とされていつ下層的な部分へと
墜落してしまうとも限らず、そうなって真の
地獄を味わってから、そんな構造がいつの間
にか構築されてしまっていることに気づいて
愕然するかどうかもよくわからないところで
はあるにしても、何かそれが正気の沙汰でな
いような気がしてくるなら、それに関しても
っともらしく納得できるような説明をしてい
る者の感覚が何かおかしいと思うかも知れず、
正しいことをやっていれば防げたようなこと
ではなく、間違ったことをやったからそうな
ったわけでもなく、間違うしかないような成
り行きに囚われながらもそうならざるを得な
かった現実がある限りは、そうなってしまっ
た後からそんなことをやってきた勢力やそれ
を代表するような人物を批判してみても、や
はり何か違うような気がするわけで、そうな
ってしまうことがいくらその途中で予見でき
たとしても、その際にいくらそうなることを
阻止しようと行動して、逆にそんな行動を主
導権を握っている側から弾圧されたとしても、
そんなことの積み重ねによってそうなってし
まったわけだから、今さらそれが間違ってい
たことが明らかになったところで、やはりそ
の際に弾圧された側にはそら見たことかとし
か言えないにしても、その際には実際に阻止
できなかったわけだから、どの面下げて物を
言っているのかと言われることもないだろう
が、やはりそれは今でも負け犬の遠吠えにし
かならないだろうし、そういう人にはそれを
批判する権利も当然あるのだとしても、そん
な人の主張内容がどんなにもっともらしくて
正鵠を得ているとしても、その一方でなぜか
未だに間違ったことを延々と言い続けている
人の方が気力が漲っているように見えるとし
たら、まだ終わっていない証拠となるかどう
かも疑わしいとしても、それが現実の状況を
物語っているように感じられてしまうわけだ。

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