彼の声 2023.8.22 「迂回路」 | 彼の声

彼の声 2023.8.22 「迂回路」

voice-158

 どこへ向かっているのかが自分ではわかっ
ているつもりであっても、なぜかそこへと至
る道順が、当初に思い描いていたのとは少し
違ってしまったからといって、それが取り立
てて不可思議なことでもなく、途中で道に迷
ってしまったわけでもないが、その場の状況
に応じてとっさに適切な順路を選んで、結果
的にそこへと辿り着いたのだから、別にそれ
でも構わないはずだが、何か腑に落ちないこ
とがあるとしたら、自らがそう思うより先に、
勝手にそちらへと向かってしまい、結果的に
はそれで何の不都合もないばかりか、その場
でうまく立ち回ったようにも思われるから、
結果オーライだと思えばそれで構わないはず
なのだが、それでも狐につままれたような気
がするという表現がしっくりくるなら、そう
いう表現があること自体が、自分だけがそん
な気分を体験したわけでもなく、他の大勢の
人々にとっても、それが人生の中で一度や二
度ではない不可思議な体験なのかも知れない
し、世の中では様々な人や集団が、それらの
人たちが関わっている物事に応じて、様々な
意図や思惑を抱きながら各々に行動していて、
絶えずそこへ至る途中の成り行きの中で、思
ってもみなかった紆余曲折を経験するのも、
そこに関係してくる人や集団の意向がもつれ
合いながらもこんがらがりながら、複雑に交
錯しているからだろうが、それをどう捉えた
ら納得できるかといっても、容易には納得で
きないから腑に落ちないのだとしても、納得
するには事態を単純化して捉えるしかなく、
そんな事態の単純化がフィクションなのだと
しても、それを虚構だとは思わせないように
工夫が凝らされていれば信じてしまうわけで、
フィクションを現実だと思ってしまうことが、
詐欺に引っかかったことの証しでもあり、な
ぜそれを詐欺だとは感じられないのかといえ
ば、信じられないような不可解な紆余曲折が
省かれているからで、それも単純化すれば嘘
になってしまうが、あえて単純なことを言う
なら、わかりやすい説明に騙されてしまうの
が詐欺であり、それとは逆にわかりにくい説
明に納得できなければ、まだ詐欺に騙されて
はいないことになるだろうが、騙す方は騙そ
うとしているわけではなく、信じてもらいた
くてできるだけ話をわかりやすく語っている
つもりになって、話を単純化している過程で
自分で自分に騙されている可能性もあり、そ
れもそこへと至る途中で経験する不可思議な
紆余曲折の類いなのかも知れないが、なぜか
自分で決めたことを自分が裏切ってしまうと、
それに気づいた時のショックが大きいという
か、なぜそうなってしまうのか理解できずに、
呆気にとられて、自分でも何をやっているの
か、すぐには事態を飲み込めないのだが、で
きないことをやろうとしたから、そうなって
しまうわけではないとしたら、そこでできる
ことが複数あって、実際に複数の道へと分か
れる分岐点に至った際に、そこで思わぬ道を
選んでしまい、自分でそれを選んでしまった
ことが信じられないわけで、そちらへと進も
うとしたわけでもないのに、自分の意志を無
視するようにして勝手に進んで行ってしまう
から、それが理解できないのも無理もないこ
とだが、理解しようとしなくても構わないの
に、自分を納得させるために無理に理解しよ
うとすると煩悶してしまうわけで、なぜそこ
でそんな道を選んで進んでしまうのか、進ん
でしまう理由など何もなければ、あえて理由
などないから、そんな道を選んで進んでしま
ったのだろうが、それが理由だとは思えない
し、そういうところで意思や意志と実際の行
動が矛盾して、心身の辻褄が合わなくなって
しまうのだとしても、何かに引き寄せられる
ようにしてそうなってしまうこともあるから、
理由がわからなくてもとりあえずはそうなっ
てしまった成り行きに従うしかなく、従って
動いている最中でも急にひらめくこともあっ
て、そこで結果が伴ってくると、何やらそう
なってしまった事態についての合理的な解釈
を思いついてしまうこともあるわけで、それ
が本当にその通りのことなのかどうかも、物
事の単純化を含んだフィクション仕立てでも
っともらしい解釈を施して自分を納得させる
ようなことにもなってくれば、それも結果オ
ーライな詐欺なのかも知れないが、そうやっ
て自分で自分を騙しながら自分にとって都合
の良い結果へと自分を導くことができれば、
大したことなのかも知れないが、自分だけで
はなく他の大勢の人々にとっても都合の良い
結果へと導ければ、それが詐欺だとは思わな
いだろうし、実質的には詐欺なのに結果とし
ては詐欺だと思われない結果になってしまい、
それも結果オーライなことなのだろうが、果
たしてそんなことができるかというと、そう
いうことを意識してやろうとしているわけで
はなく、騙そうとはしていないのに、それと
自覚せずにそんなことをやってしまっている
ことに自分が気づかない場合もあるだろうか
ら、それが何かの拍子に自分の嘘に自分で気
づいてしまうなら、気づいたとしても後戻り
ができない場合には、それ以降の言動がぎこ
ちなくなってしまうかも知れないが、否応な
くそんな成り行きに巻き込まれてしまうなら、
それこそが思いがけない事態なのかも知れな
いが、自分だけではなく他人を巻き込んでや
っていることであるなら、その人だけに責任
があるわけでもなければ、そんな成り行きに
巻き込まれている人々も、それなりに騙され
た方が悪いようなことにもなってくるわけだ
が、また周囲の期待に応えるには嘘をつかざ
るを得ないような立場というのも想定できれ
ば、そんな期待に応えているつもりが、その
途中から後戻りができなくなってしまうのも
よくあるケースかも知れず、そうなるとまる
で自己催眠にかかったかのようにして、自ら
がついている嘘にも気づかないまま、周囲の
期待に応えているつもりになってどんどん詐
欺の泥沼にハマって行ってしまうなら、それ
こそが結果オーライとは正反対の悲惨な成り
行きなのかも知れないが、そうならないため
にも結果的には必要になってくるのが、誰も
予期せぬタイミングで起こる突発的な事故な
のかも知れず、しかもそんな事故に巻き込ま
れて詐欺の泥沼にハマっている当人が死んで
しまえば、なぜかそれが結果オーライなこと
になってしまい、もちろんその場では誰も結
果オーライだとは思わないとしても、そこか
ら時が経つにつれて、誰にとってもそう思わ
れるようなことが実際に起こってしまったこ
とになり、今でもそれがわけがわからぬ大げ
さなその人の葬儀と共に、皮肉で不可解な事
件として記憶されているのではないか。

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