彼の声 2018.2.20 「倒錯した認識」 | 彼の声

彼の声 2018.2.20 「倒錯した認識」

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 メディアを利用した宣伝の中で悪質なもの
にはデマや煽動が含まれるだろうし、それに
よって民衆を意図的に誘導できることは確か
だが、実際にうまくいったとしてもそれは一
時的にとどまるだろうし、年がら年中デマや
煽動ばかりだと民衆の方でも飽きてくるかも
しれず、そういう部分による影響は世の中の
ほんの一部に限定されるようなものかもしれ
ないが、民衆の方でもデマや煽動を信じると
いうよりは、それが政治的な主流派に味方す
る側からもたらされるものなら許されるとい
うことであり、体制側を支持するものであれ
ば多少のデマや煽動の要素を含んだ宣伝は大
目に見てもらえるのが世の常なのかもしれず、
しかもそれを受け取る側がその種の宣伝をあ
からさまなデマや煽動だとは感じない場合が
あるだろうし、宣伝内容にもそれなりに確か
らしい部分も含まれていて、そういう部分を
含んでいるからこそ民衆がその手の宣伝を真
に受けるわけで、その手のものは事実を含ん
だフィクションとも言えるのかもしれず、実
際に世の中に出回っている偏った意見を含ん
だ主張などはほとんどがその手の範疇に含ま
れるといえばその通りであり、別にそれは驚
くべきことでもなく、普通に暮らしていれば
誰もがその手の主張に出くわすだろうが、も
しかしたらそれは枝葉末節なことなのかもし
れず、世の中がおかしくなった原因を政治の
せいにしたい向きはそういうところから批判
の根拠を求めようとするわけだが、それも一
面ではそうかもしれないが、別の面から捉え
ればそれは二次的な原因となってしまうのか
もしれないし、政党などの政治勢力やそれと
連携しているメディアなどが、苦し紛れの宣
伝としてデマや煽動を利用するような状況と
なっていれば、その苦し紛れな状況を招いて
いる何かが他にあるのかもしれず、しかもそ
の何かが一つだけではなく、複合的な要因が
積み重なったり錯綜していたりして、その結
果として苦し紛れに民衆を誘導するような情
報を流してその場しのぎのようなことをやる
必要があるだろうし、そんなことをやってい
る時点ですでに末期的な状況とも言えるのか
もしれないが、その末期的な状況というのが
意外と長続きする場合もあるだろうし、もし
かしたら全世界的にはもはや政治制度そのも
のが機能不全を起こしていて、実質的には現
状に対して何一つ有効な手立てを講じられな
いでいるのに、それをごまかすためにメディ
アと結託してさも何かやっているように装う
のが精一杯なのかもしれないのだが、考えて
みれば民主的な政治制度が世界的に主流とな
ってきた過程において、民主主義の理想の実
現を阻む要素として常に資本主義経済が障害
として立ちはだかってきたと同時に、資本主
義経済の発展が民主的な制度を成り立たせて
きたのも事実であり、両者は相反する方向性
を持ちながらも相互に補完し合う面もあって、
切っても切れない関係を構成しているのに、
うまく噛み合うことはなく整合性を保てない
わけで、そこから様々な不合理や不具合が出
てくると同時に必要不可欠な要素でもあるの
だから、それらの矛盾した面を止揚するわけ
にはいかないのであり、それらの間でその場
しのぎの調整を行わないとおかしくなってし
まうから、制御できない面があるにも関わら
ず制御しようとして、結果的に苦し紛れのご
まかしをやらざるを得ないわけだ。

 しかしそうであるとしても実際に政治制度
が社会の中で機能しているわけだから、それ
を利用して何かをやろうとする勢力が政党を
はじめとして必ず現れるわけで、それが社会
の中で無視できない勢力を形成していること
は確かであり、しかもそのような勢力に他の
様々な勢力が関係してくるわけで、他の行政
や企業やメディアなどの勢力とともにある面
では競合関係を築いていて、別の面では連携
関係や場合によっては癒着関係まで生させて
いるわけだが、もしかしたらそれはどこまで
も表層的な関係であり、資本主義経済の中で
経済活動を促進させるような働きが常に期待
されている限りで、それらの関係が成り立っ
ていると言えるのかもしれず、そこでは経済
活動の邪魔をするような作用をできるだけ取
り除くようなことが行われていて、たとえそ
れが民主主義の理想を実現させようとする運
動であっても、経済活動を阻害するような面
があればそれは抑え込まれる成り行きになる
のだろうし、そうでなければそれらの勢力の
利害が一致することはないのではないか。そ
ういう意味でそれらの勢力は経済活動から利
益を得ていることになるだろうし、経済活動
に依存しているからそれらの勢力を保ってい
られるわけで、経済活動に連動することでし
かその活動も成り立たず、だからしばしば経
済至上主義になってしまうわけだが、そこか
ら民衆に害をもたらす作用も生じていること
も確かだが、民衆の方でもそれらの勢力と同
じように経済活動に依存することでしか生活
が成り立たないわけだから、害をもたらす部
分は政治や行政を通して是正してほしいとは
思う反面、経済活動そのものをなくしてしま
うわけにはいかないのは当然であり、経済活
動から何らかの弊害が生じてくるものの、経
済活動そのものは継続させることは大前提と
してあるわけで、そこで妥協の策としてでき
るだけ弊害の少ない経済活動に政治や行政の
力でしていけばいいのだろうが、それは政治
勢力や行政の力ではできない部分があるのか
もしれないし、できないなりにも何とか対応
しようとはしている面もあるだろうし、実際
に対応しているつもりであり、政治と行政が
連携して経済のかじ取りをやっていることに
はなっているはずなのだろうし、現状でもそ
れなりの成果を上げていることにもなってい
るのだろうが、それを批判する側から見ると
いつも不十分であり、常に危機的な状況だと
捉えて批判がなされる場合が多いが、その危
機的な状況というのも実際に経済活動が途切
れることは未だかつてなかったわけだから、
ではどういう状況が危機的な状況なのかが疑
わしく思われてしまうわけだが、そういうこ
とを総合的に判断するなら、たぶん資本主義
的な経済活動自体が自律的に成り立っていて、
それに依存しているのが政治や行政などに関
係する勢力であり、依存しているにも関わら
ず制御しているとは言えない面が大きいだろ
うし、そこに主従関係を設定するならば、主
人であるのが資本主義的な経済活動であり、

それに対して従属的な関係を構成しているの

が政治や行政などの様々な勢力なのではない

か。それはそれ以前のアンシャンレジーム的

な体制も結局は農業に依存して成り立ってい

た面が大きいだろうし、そういうところで人

の意識が政治や行政から醸し出される権力に

幻惑されている面があるわけで、逆に先入観

として軍事力を備えた国家体制が主人である

という倒錯した認識も芽生える原因にもなっ

ているのではないか。

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