彼の声 2006.1.10 | 彼の声

彼の声 2006.1.10

何となくまた間違ったことを述べてみたくなる。
例えば映画のどこが夢なのか。
平面上を人影がうごめき回ることの
どこにおもしろみがあるのだろう。
冗談で何かを述べているらしい。
たぶんそこには込み入った話が
語られているのかも知れない。
言葉は音声となって空間を伝わってくる。
その時君は可視光を見ているはずだ。
紫外線や赤外線を見ることはできない。
だが別に日本経済がどうのこうの述べることに
気恥ずかしさを覚えているわけでもあるまい。
わざと文章を不連続に構成しているようだが、
それでは毎度おなじみの意味不明だろう。
だがそうなることが
はじめからわかっていたわけでもないらしい。
気休めに突飛なことを述べているわけでもない。
君の言動には余裕が感じられない。
どことなくぎこちない言葉遣いに感じられ、
絶えず焦りながら言葉を発しているような気がしてならない。
そこには読む気がしなくなるような馬鹿らしさが認められる。
そこでやる気を失っているのははたして君なのだろうか。
興味はどこを向いているのか。
今の気分について何か気の利いたことを述べられるだろうか。
今のことを語っているわけでもなく、
少し前の気分について述べているのかも知れない。
枯れてひからびた樹木は何も語りかけないものか。
誰に向かって語っているわけでもなく、
その場を覆っている虚無からも無視されているらしい。
他人がどうあれ、自
分に関して何も語ることがないのだとすれば、
それはどのような状況に陥っていることになるのか。
別に謎解きを行っているわけでもなく、
どんな推理を働かせているわけでもない。
ただ話の中身が何もないだけか。
なぜ他の話の中には出来事が含まれているのか。
他の話とは何を指すのか。
そうやって無駄に言葉を弄しながらも、
じわじわと何かの核心に近づいているのかも知れない。
どこで話が途切れてしまったのだろうか。
そこにはどんな思惑が渦巻いているのだろう。
誰かがその辺でおかしくなる。
別に精神に支障を来すような内容でもないだろう。
それもほんの冗談のつもりらしく、
でたらめに言葉を並べているような雰囲気を
醸し出したいだけなのかも知れない。
どんな話が語られているわけでもなく、
何を述べているわけでもない。
そしてそれによって何を否定しているわけでもない。
それは文章以前の文章でしかないのかも知れず、
その中でどんな主張が述べられているわけでもない。
しかしそう述べることによって
何を否定しているつもりなのか。
ただ人の意識が空間や導線や光ファイバーの中を行き交い、
その身体も電車や車や飛行機や船に乗せられて移動している。
それについて何を思えばいいのか。
人の歴史とは何のことなのか。
文化とは文明とは何のことなのか。
考えさせられるが考えられない。
過去から何を学ばなければならないのだろう。
なぜ世の中には教訓とかいう
どうでもいいような言い伝えが蔓延るのか。
そういうことではないような気がする。
つまらない話のねつ造すべきではないらしい。
誰かと誰かが別れたりくっついたりして、
それで話になるのだとすれば、
それはありふれたつまらない話に属することなのか。
だがたぶんそんな風にして歴史が成り立ってきたのだろう。
しかしそれの何がおもしろいのか。
そう簡単に語ればつまらなくなるだけか。
話の中に人おもしろがらせるエピソードを
ちりばめなければならない。
俄には信じられないような偶然の重なりが
人を感動させるのかも知れない。
また同情やら反感やらの感情移入を許す
出来事がなければおもしろくはない。
だがそんなありふれた話に
いつまでもつき合っていていいのだろうか。
何の進歩もないような気がする。
進歩がないからこそ馬鹿になれて、
いつまでもそんな話に
興味を持ち続けることができるのかも知れない。
ではいったんそこからずれてしまったら、
後はひたすらつまらなくなるだけか。
興味を失ったら、
そこから離れればいいことでしかない。
そんな話から距離を取っている者など
世の中にいくらでもいるはずか。
だから君もそうしなければならないわけか。
今さらそんな話を馬鹿にしている暇などありはしないはずだ。
ならば君はそこから別の話に移行しなければならないわけか。
しかし別の話とはどんな話なのか。
そこに提示されているつまらない話が
そうだと主張したいわけか。
だがそれはおもしろいだとかつまらないだとか
判断する以前の、
まったく話になっていない話なのかも知れない。