彼の声 2005.12.14 | 彼の声

彼の声 2005.12.14

それらのどこに言葉が見出されているのか。
何もないのに言葉が詰まっている。
そんな文章はまやかしだろう。
しかしまやかし以外にどんな文章が存在し得るだろうか。
例えばこんな文章もあるだろう。
限りのない夢に終わりはない。
夢想の終着点がどこにも見当たらない。
それが悪夢だと思うなら、
悪夢の内容を示してほしい。
なぜそこから本文に入らないのだろう。
何がそれらの序文で、
それがどのような本文への橋渡しになるのか。
そんな文章はどこにも見当たらない。
君にはそれが納得できないかも知れないが、
まだ何を述べているのでもなく、
これから何を述べようとしているのでもない。
語りたいことは特に何もなさそうに思えるが、
それでも文章を記そうとしている者が、
この世のどこかにいるらしい。
君にはそれが理解できない。
要するにその者は詐欺師の類なのかも知れない。
それでも他に何も見出されないのだから、
仕方がないだろうか。
そこから何か適当な内容を導き出したければ、
何をどうすれば何が見出されるのだろうか。
たぶん冗談でも述べれば誰かが笑ってくれるかも知れない。
そんないい加減なことを述べていていいのだろうか。
突然こめかみに鋭い痛みが走る。
たぶん現実に見出されているのはそんな言葉ではないはずだ。
君には君のやり方があり、
君はそこで何かを思っている。
君はそこで何かを記している。
ただそれだけのことなのか。
それ以外に何もないのだから、
たぶんそれだけのことなのだろう。
それ以外に何をごまかしているというのか。
どのような言葉を持ってしても、
何もないことに変わりはない。
ここには何もないと述べる以外に適切な言葉は見当たらない。
それでもそれ以外の言葉を連ねようとするならば、
それらの文章の始まりには、
いかなる言葉がふさわしいだろうか。
ふさわしい言葉がどこにも見当たらないが、
何もないのにそれなりに言葉を繰り出しながら、
何とか挫折を避けている。
だが避けているつもりが、
それこそが挫折そのものなのかも知れず、
自らが書き記している言葉にまったく心当たりがない。
過去の君が知っているのはそんな内容ではない。
それはどういうことなのか。
たぶんそれではないということだろう。
それはまるで身動きが取れずに
縛られた椅子の上で夢想を続けているようなものか。
そんな夢想が何を意味するのか。
ただ何もできないから夢想を繰り返しているだけなのだろうか。
もっと何かを肯定するような内容にならないものか。
実際にはかなりの距離を移動してきたはずだが、
それでもまだそんなところでうろついている自らが
情けなくなってくる。
それはどういうことなのか。
距離の長さに幻想があるのだろうか。
いくら移動を繰り返しても、
虚無の深みにはまっていることに変わりはないだろう。
そしてそんな無駄で無意味なことを述べているうちに
年が暮れてしまうだろう。
終わりの月に至っても躓いたままで、
挫折したまま年を越してしまうわけか。
このままでは終われないと思いつつも、
しかしこのままでもかまわないとも思ってしまう。
それはかまうかまわないの問題ではないだろう。
どのような問題でさえないのかも知れず、
何やら頭の中で無駄に言葉が錯綜しているようだが、
そんな見え透いた嘘をつきながら、
わざと混乱を招いているだけなのだろうか。
その混乱に乗じて何を考えているわけでもないが、
どうも語れば語るほど考えがまとまらず、
語りにも支障を来しているようで、
まともなタイミングで言葉が出てこないらしく、
またそれと別の時間帯では、
何となくそれは違うような気もしてくる。
たぶんそんな気がするだけで、
違うと思われる根拠は何も思いつかないのだから、
それも嘘に違いない。
あるいはそんなことはどうでもいいことか。
要するにどうでもいいような嘘をついているつもりなのだろう。
かなりそれらの無内容に焦りを感じているようだ。
ところでそれらの文章を書き始める前に
どんな思いがあったのだろう。
いきなり思い出せるわけもなく、
今さらそんなところまで記憶をさかのぼれないか。
まだ気持ちの整理がついていないうちに、
結果がそんな風になってしまっていることに、
かなり動揺しているらしい。
確かにそんなことはどうでもいいことかも知れないが、
すべてがどうでもいいことに思えてしまうことに、
君は驚いているのかも知れない。
いったい君はそこで何を述べているのだろうか。
まともなことは何も述べていないと思いたい。
状況が切羽詰まっていることに変わりはないが、
そんな無内容を述べているようでは、
まだ心に余裕があるらしい。
しかしその余裕がどんな言葉をもたらすわけでもなさそうだ。
まともな言葉は何も思い浮かばない。
その代わりにもたらされるのは、
何も思いつかないことに対する言い訳の言葉だけか。
そしてそれらの言葉によって、
何をわかろうとしているわけでもなく、
もちろんわからないことには答えようがない。
しかし何に対して答えなければならないのだろうか。
そんな嘘はありふれているだろうか。
君にはそれの何が嘘なのかわからないだろう。
たぶんそれは言い訳ではなく、
言い逃れの言葉なのかも知れない。
その後に君がどんな言い逃れを用意しているにしろ、
とりあえず今ある現状を改めて見つめ直さなければならない。
しかし見直すべき現状がどこにあるのだろう。
まるで廃墟のような文章がどこにあるかは、
君自身が一番よくわかっているはずだ。
ここにあるのが現状そのものなのではないか。
だがここにあるのはここにある現状だけなのか。
それはどのような現状なのだろう。
現状の中のどの現状に関心があるのだろう。
それはどういうことなのか。
あるいはすべての現状に対して
無関心を装うことができるだろうか。
また無理なことを述べようとしているらしいが、
ここにある確からしい現状の一つとして、
ここにある内容は、
この現状が属している時間に追いつけないということらしい。
要するにまただいぶ遅れてしまっていることに
改めて気づいたわけだ。
またそんなわかりきったことに
わざとらしく気づいたふりをしていて、
その現状を深刻に受け止めているふりをする。
そんな台詞も嘘のバリエーションの一つかも知れないが、
実際には精神的にかなりきついのかも知れない。
それが嫌なら、
そんなどうでもいいような現状に終止符を打つべきか。
どうやって終止符を打てるのだろう。
何となくその辺で迷いがあるのかも知れないが、
そこからどうやって抜け出るつもりなのか。
あるいはもうあきらめてしまったのか。
そんなことばかり考えていても一向に埒が明かない。
何もない現状についてどんなに不満を抱いていても、
現状はただ現状のままあり続けている。
いつまでそんな状態が続いてゆくのだろう。
そんなことを知りたいわけもなく、
何を知ろうとしているのかも知らず、
ただやる気がしないのなら、
さっさとやめてしまえばいい。
しかしそんなことばかり述べていても仕方がない。