閑話休題―2 | ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

音楽が好きで、映画が好きで始めたブログですが、広告会社退職後「ビジネスの教訓は、すべて音楽業界に学んだ」を掲載しました。

閑話休題―2


私が配属された洋楽本部は「編成」、「宣伝」、「販促」の3部門で構成されていたが、限られた人数だったので宣伝と販促のスタッフは常に行動を共にしていた。その宣伝部に所属していた年上の真田さんと年下の松井くんについては思い出も多く触れないわけにはいかない。


真田さんは北海道旭川近くの滝川という雪深い町だか村に生まれ、幼いころから頭がよく、(本人曰く)神童と言われていたそうで、難関の早稲田大学政治経済学部に現役で合格したため町だか村だかが発行する新聞に顔写真入りで紹介されたという。真田さんはその新聞がガリ版刷りでなく活版印刷であったことと顔写真が掲載されたことをいつも自慢していた。



そうなんです、

教訓―4

エンタテインメントな人は、自慢話をする人が多いのです


「自慢する=自己PR」がモノ言う世界なのです、音楽業界は。何しろ部下の手柄は自分の手柄、一度でも名刺交換したならばすぐにチャンづけで親しさをアピールするなんて人が私の周囲に大勢いました。本当に親しいのか、単に名刺交換しただけなのか区別がつきません。オリコンでインタビュー記事を読んだだけで、まるで10年来の友人のように話す人もいました。「謙虚」とか「控えめ」という日本人の美徳とは程遠い世界ですが、自慢も、自己PRも生き馬の目を抜く世界で生き残るための大事な要素だと思います。「実るほど首を垂れる稲穂かな」の精神さえ忘れなければ、自慢話やホラ話ぐらいどうってことありません。内気で引っ込み思案な人には不向きな業界なのかもしれません、音楽業界というのは。




でも、東大ならまだしも早稲田大学への入学が地元紙に顔写真入りで紹介されるなんて、真田さんの故郷は、どれだけ田舎なんだという気もする。


私と同じ年に生まれた松井くんは、私が1月、松井くんが12月生まれのため僅かの差で私の後輩社員になった。松井くんは東京の名門私立麻布高校の出身。当時の麻布は中高一貫教育男子校として有名で、学力のレベルが相当高くないと入学できない超難関校だったので卒業生の多くが東大に進学した。政界や財界にこの学校の出身者が多いのはそのためだ。政治家では有名な歌人の孫を初めとして数多くの大臣を輩出している。もちろん財界、法曹界、教育界、医学界にも著名人が大勢いる。松井くんはこんな有名校出身なのに音楽好きが高じて何と私学の日大芸術学部に進学した。これは国立音大に進学したジャズ・ピアニストの山下洋輔と並んで同校出身者の中では異色中の異色だと思う。山下洋輔ほどの有名人になれば別だが、松井くん、高校の同窓会に出るの、辛かっただろうな~。



そうなんです、

教訓―5

5.エンタテインメントな人は、若い時に屈辱を味わい、そこから這い上がる人が多いのです



どうせ屈辱を味わうなら若い時に挫折しておいたほうが後年魅力的な人間になることが多いと言われますよね。特に音楽業界では人を相手にすべてのビジネスが動いていくので、利発なエリート坊ちゃんより人間臭いお人よしのほうが好かれる傾向がありました。エリート社員は失敗を恐れて守りに入る人が多くイノベーションを起こしにくいから、理不尽な世界がまかりとおる音楽業界では、早い時期に屈辱を味わって挫折し、そこから這い上がる力を身に着けている人の方が向いているのです。また、負けた人の気持ちを汲み取れる人間になっていれば、困ったときに助けてくれる人も増えていきます。一生懸命努力しているのに売れない歌手は大勢いるし、音楽的才能はあるのに付き合いベタで、なかなか良いアーティストに巡り合わないディレクターもいます。アーティストとの出会いなんて所詮運かもしれないのに悩む人がいたのです。こういう人たちを慰めたり、励ましたりするのもレコードマンの大事な仕事のひとつだと先輩に教わりました。当時社内にどうしようもない女好きでだらしないのにジャズを手掛けるとスイングジャーナル誌のゴールドディスク大賞を受賞するような名盤を制作する洋楽ディレクターがいましたが、彼は若い頃奥さんに愛想をつかされ、離婚されています。その後の私生活でも女好きが和災いして、随分苦労したようですが、後に業界の有名人となり、多くの若いジャズマンに慕われる存在だったことを肺がんで亡くなった彼の偲ぶ会で知りました。人間は所詮他人の「挫折・貧乏・失敗」の告白を面白がる生き物だから、挫折や失敗のネタがないと音楽業界では他人の共感を得られないということなのかもしれません。



一般の人には馴染みの薄い滝川の神童と言われた真田さん、都内名門高校出身ながら若くして挫折した松井くん、それにカソリック系大学の英文科を卒業しながら、隠れキリシタンになった私の3人が同じ時期に、同じレコード会社の洋楽部門で働き始めたのも縁だと思う。この二人とは、生涯の友になった・・・・・と思う。