当社のプロデュース公演「阿修羅のごとく」をテアトル銀座で観賞しました。
向田邦子原作による本作は過去にテレビドラマや映画として公開されていますが、今回の四姉妹役は、浅野温子(長女)、荻野目慶子(次女)、高岡早紀(三女)、奥菜恵(四女)です。
個人的には三女役の高岡早紀が意外と(失礼!)良かったように思いましたし、舞台ならではのセット技術なども堪能することができたのですが、やはり自社公演ともなると、お客の入りが心配で、開演まで落ち着きません。
でも、まあ~、何とか・・・・・・・・・
座席が埋まってくれたので一安心
それにしても本作に触れるたびに思うのですが、人間とは何と不潔で、我がままで、そして卑怯な存在なのかということです。
特に本作は、女性を闘争の神として有名な「阿修羅」に例えているから、舞台は修羅場の連続です。
煎じ詰めれば不倫観察日記のような作品ですからね。
でも、修羅場があるからこそ人間って愛おしいものなのよ、と向田さんが舞台の奥から囁いているようにも見えました。
自分の人生を振り返れば、修羅場の連続ということはありませんでしたが、それでもいくつかの修羅場を潜り抜けてきました。
特に40代前半に味わった人生最大の修羅場は、会社の上司と反目した上にその上司に裏切られ、会社を辞めるハメになったことです。
さらに、激しく落ち込んでいた気持ちに追い討ちをかけるように父親が亡くなり、一人っ子の私は葬儀の手配や母親のケアに忙殺され、あやうく自分自身を見失ってしまうところでした。
おまけに転職したばかりの広告会社が大きな不良債権(いわゆる多額の未回収です)を抱えて倒産寸前。
もう、踏んだり蹴ったり。
天中殺というのはこういうことを言うのかと嘆いたものです。
でも、振り返ればその時の辛い経験が今の広告会社で生きたことに今は感謝しています。
時間はかかりましたが、結局のところ「人生っていいもんだ」だからではないでしょうか。
そして、先日「阿修羅のごとく」とは対極にあるような映画「東京家族を」観ました。
実に松竹らしい映画だなあ~。
実に山田洋次監督らしい映画だなあ~。
まさに心温まる日本の良心のような作品でした。
かつて同監督の作品に「家族」(1970年公開)という映画がありました。
長崎県の小さな島を離れ、北海道の開拓村まで旅する一家の姿をドキュメンタリー風に撮った作品でしたが、一家は旅の途中で見物した大阪万博からその日のうちに新幹線で東京に行くという無理がたたり、まだ赤ん坊の長女を病気で死なせてしまうのです。
子供の火葬もそこそこに一家は北海道の開拓村に到着するのですが、村人たちによる歓迎会が行なわれたその夜、この一家のおじいちゃん役である笠置衆がご機嫌で「炭坑節」を歌った後、静かに息を引き取るシーンがとても印象的でした。
「東京家族」の主役の一人である橋爪功さんも瀬戸内海の小島から子供たちが住む東京に出てきて、その東京で妻を亡くしてしまいます。
「日本がこれでいいわけはない」
と居酒屋で酔いつぶれた橋爪功が吐く台詞。
「二度と東京には行かない」
妻を東京で亡くし、一人暮らしの父親に東京で一緒に暮らすよう勧める息子に向かって橋爪功が吐く台詞。
心に響きました。
家族って何だろう?
家族の絆って何だろう?
故郷って何だろう?
辛いことや哀しいことや嫌なこともも多いけれど、やっぱり家族っていいもんだ、やっぱり故郷っていいもんだ、とこの映画は私たちに静かに語っているように感じました。
それにしても、ダメ息子役の妻夫聡くん、上手いなあ~。
ダメ男役を演じている時の妻夫木くんって最高っす