2013年、もう少し無頼に生きたいな~ | ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

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音楽が好きで、映画が好きで始めたブログですが、広告会社退職後「ビジネスの教訓は、すべて音楽業界に学んだ」を掲載しました。

今年の元旦も良い天気ですニコニコ


皆様、あけましておめでとうございます。


今年もよろしくお願いします。


さて、今年はどんな年になることやら・・・・・・・・・・・


50代は「経験」で仕事をし、60代は「知恵」で仕事をすると言われています。


私の場合、既に知恵の領域に入ってしまいました叫び


確かに肉体的な衰えもあるし、経験も使い果たしてしまったし、次に残るのは知恵しかないですね。


で、最近思うこと。


民主党政権下で日本全体が「幼稚」になったせいか、余計に感じるのが、「大人」としての生き方です。


銀座のバーの片隅で一人静かにマティーニのグラスを傾けているような「大人」が私のイメージです。


有名人で言えば、作家の伊集院静氏がそのイメージに近いかな?


15年程前、行きつけの広尾のバーでよく伊集院さんに出会ったことはこのブログで書いたことがあります。


酒の飲み方が実にかっこ良かった。


私が若い頃には酒ひとつとってみても、伝説的なエピソードを持つ大人が身の回りに大勢いました。


●一升瓶を抱えながら番組の収録をおこなったラジオ局のディレクター。


●ウィスキーのボトル1本を一人で空けても、理路整然と政治問題を語る雑誌編集者。


文壇酒場で酔いつぶれてホステスに絡んでいる超人気作家を叱りつけた会社の社長。


●忙しくて時間のない若手管理職を真夜中に銀座のクラブに呼び出し、営業会議を開催した役

 員。

など、など・・・・・・・・・・・・・・


そんなことを考えていたら、元旦の読売新聞に敬愛する伊集院静氏が「無頼になりたい!?」というタイトルで寄稿していたので、そこから一部を抜粋します。


「無頼」。


辞書で引くと


「正業に就かず、無法な行いをすること。また、そのさまや、そのような人」



何か私のイメージと違うな~しょぼん


辞書の2番目には


「頼みにすることのないひと」



う~ん、近いニコニコ


伊集院さんは「無頼」をこう定義しています。


「無頼とは頼るもの、頼る人のない者として無軌道な生き方の印象がある。私は無頼をそう捉えていない。私の無頼とは、何ものにも、何人にも頼らず生きていく生きざまをあらわしている。誰にも頼らず、己の信じる道を歩むことである。その強靭な精神を無頼は常に持ち合わせているのである。」


無頼とは放埓とは無縁で、生き方の問題であると。


そういう無頼な生き方をしている大人が昔はよくいた、と伊集院さんも書いています。


やがて「企業」という組織から離れる時が来た時に、個に戻った自分はどんな生き方ができるか?


その時、自分がやりたいことを自らの力で実現することができる強靭な精神力を持っていられるか?


そのためのスタートの年にしたい。


そんなことを年の初めに考えました。


そんなこと、軟弱なオマエにできるわけがないだろう叫び


そう仰る人も多いでしょう。(当然ですドンッ

仕方ないですしょぼん


今までの生き方がゆるかったからです。


だからこそ、無頼に生きる気持ちを少しでも保てるよう努力したいと思ったのかもしれません。


昨年は、13年ぶりにテレビ担当になったため、気合が入りまくり、すべての会食とゴルフ会への出席を宣言してしまったため、本を読む時間が減り、映画を観る本数が減り、人に会う時間が減り、ひいては考える時間が少なくなってしまいました。


こんなことではとても無頼に生きることなんかできません。


まあ、新春の戯言かもしれませんが、今年は、時の流れに身を任せるのではなく、自分の意志と

精神力を今まで以上に鍛えたいと思います。


今年もよろしくお願いします!