還暦を迎えたのを機に自分自身を振り返ってみよう。
私は東京港区の生まれ。
芝公園の近くで生まれたらしい。
しかし、物心ついたときから横浜で育ったので、横浜生まれ、横浜育ちでとおしている。
中学、高校の部活はブラスバンドとESSだった。
音楽と英語は今でも切り離せない。
人生の転機になったのは大学生時代だと思う。
当時の上智大学の授業は厳しかった。
特に私が所属していた英文科は。
授業の厳しさから逃れるように音楽にのめりこんでいったのだと思う。
とにかくギターを初め、マンドリン、ピアノ、編曲・・・・・・音楽に関しては貪欲に吸収した学生時代だった。
人間、何でもいいから若い時にのめりこむ何かがあったほうがよいと思う。
3年の時から外資系の音楽出版社でアルバイトを始めたが、その出版社はビージーズの著作権を管理していたので、ビージーズの新曲を誰よりも早く聴くことができるのが何よりも嬉しかった。
その出版社の社長のツテでテイチクレコードの洋楽部に就職・・・・・・・・・・・・というより潜り込んだというのが正直な表現だろう。
「スカイハイ」、「チャイニーズカンフー」、「ソウルドラキュラ」・・・・・・・・・・そしてロックレーベルBAIDISの担当に。
好きな音楽で仕事ができる。
毎日が楽しかった。
営業、販促、宣伝、制作・・・・・・・・・・・何でもやった。
以来、音楽業界に19年。
最後の役職は広報部長だった。
その後転職した広告業界で19年。
社員30名足らずの小さな広告代理店だったが、その後企業合併を経て今では300人を超える企業に成長した。
60歳を機にキャリアがイーブンになったわけだ。
人に誇れるような人生ではないが、ひとつだけ今日まで曲げていない信念がある。
それは「好奇心」だ。
好奇心を持った人は新しいことに挑戦する。
新しいことに挑戦すると将来の夢を見ることができる。
企業で働く人のモチベーションの多くは、こういった夢を見ることから生まれる。
自分の仕事、そして何よりも会社の将来に夢を持つことができる人が多く働く企業は発展する。
「夢を見る」ことの原点が「好奇心」だと思い続けて仕事をしてきたら、いつの間にか60歳になっていたというのが本音だ。
「好奇心」を失ったときが、私にとって本当の意味でのリタイアになるのだろう。