レコード会社時代に担当した思い出のアーティストたち | ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

音楽が好きで、映画が好きで始めたブログですが、広告会社退職後「ビジネスの教訓は、すべて音楽業界に学んだ」を掲載しました。

大掃除をしていたら・・・・・・・




昨日再放送だが、NHK教育TVで「人生の10曲」という特集を放送していた。




自分の人生に影響を与えた10曲を選ぶという番組でした。




自分だったらどうだろうと考えてみたが、とても10曲では収まりそうにない。




今日、物置の掃除をしていたらレコード会社に勤務していた頃のCDが沢山でてきたので、思い出のCDだけを残しながら、全て整理することにした。




取るに足らない音楽人生だが、その中から思い出をいくつか紹介したいと思う。




私の20代~30代にかけて仕事を共にしたアーティストばかりです。




私は音楽出版社でアルバイトした後、その出版社社長の紹介によりテイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)の洋楽セクションに就職、いや何とか潜りこんだ。




さすがに7年間在籍した洋楽時代の資料は殆ど残っていない、というか当時はCDではなかったので、保存がきかず、大半のLPを始末してしまったのだ。




唯一残っていたのがヒット賞受賞でもらった2つのメダルだ。





ソフィアの森の映画と音楽&広告、マーケティング








ひとつはジグソー「スカイハイ」でもらったメダル。




この曲は香港のカンフー映画の主題歌だったが、それを全日本プロレスに持ち込み、当時メキシコから来日したニューフェイス・レスラー「ミル・マスカラス」のテーマソングにし、見事にヒットした。




チャ~ン、チャカチャカチャン!というメロディーがミル・マスカラスお得意の空中殺法をイメージしたのだろう。




ヒットどころかミリオンセラーとなった。




今で言えばオリコンのシングルチャートNo.1である。




もう一つのメダルは「ソウルドラキュラ」でもらったメダル。




当時の日本はディスコブーム。




新宿のカンタベリーハウス、ツバキハウス、ラジオシティという大箱ディスコで皆が同じステップで踊っていた。




当時の私は、毎日昼頃に出社し、デスク業務を終え、夕方から手分けしてディスコにプロモーションに行く毎日でした。




こちらもミリオンを記録しましたが、この後調子にに乗って「ソウル~」シリーズを連発。




最後に出した「ソウルネッシー」は惨敗でした。




その後、邦楽セクションに移って最初に担当したのがヤマハ音楽振興会所属の門あさ美




ファッシネーションという曲でデビューした。




本人稼動一切なしでのプロモーションという、プロモーションビデオがない時代にしては、前代未聞のプロモーションでした。




だから写真とデザインには徹底的に拘った。




とにかくファッショナブルなイメージをとことん追及しました。





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当時は女性ヴォーカル花盛りの時代でした。




次に担当したのが彩恵津子




当時彼女のデモテープがレコード各社に出回り、いまでいう争奪戦に近い状況でした。




デモテープを聴いた印象は、まさにダイアナ・ロス似のキュートな声。




どうしても獲得したく彼女の自宅にまで行った記憶があります。




後は企画次第ということで、後にビクターで高橋真梨子のディレクターとして多くのヒット曲を生み出したMさんが担当。




LAで録音したり、久保田利伸とのデュエットがあったり、クオリティの高さで勝負しました。





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女性ばかりではつまらないということで男性ヴォーカリストを担当したこともあります。




それが池田聡BEGINの二人(2組?)です。




池田聡は田辺エージェンシー、BEGINはアミューズの所属でしたから、私にとっては初の大手プロダクションとの仕事ということになりました。




そのお陰か、今では両プロダクションの最高幹部になっているKさんやMさんと親しくお付き合いさせて頂いています。




しかし、石垣島出身のBEGINがデビュー曲のキャンペーンで初めて札幌に行き、初めて雪を見た時のハシャギようと言ったら・・・・・・それは嬉しそうでした。




おかげ様で、日産の車のCMソングになったBEGINの「恋しくて」は大ヒットしました。




池田聡のデビュー曲「モノクロームヴィーナス」も続けて中ヒット。




この頃は仕事が楽しくて、楽しくて仕方なかった30代のときでした。




この30代のときに多くの人と本気で仕事をした結果が今に繋がっていると思います。




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その後「BAIDIS」というロックレーベルの立ち上げに参加。




最初に担当したのがSIONでした。




まさにパンクそのものでした。




「新宿の片隅から」を聴いたときの衝撃。




全身に鳥肌が立つというのはこういうことななんだと思いました。




さらに本人に会ったときには衝撃どころではありません。




恐怖さえ感じました。




本当は心根が優しいシンガーソングライターなのに、ことさら世間に背を向け続けていた当時のSIONは一緒にいるだけで緊張しましたが、やがて一緒に酒を酌み交わすことができるようになり・・・・・・・・・・・・・




心が通じ合うようになってからはホント仲良くなりました。




BAIDISレーベルの第一号がSIONNで良かったと心の底から思います。




何故ならばその後のBAIDISにはSIONを慕って多くのアーティストが参加してくれたからです。




でも「龍馬伝」で龍馬暗殺メンバーの一人にSIONがいた時には、ホント驚いたぞ!





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BAIDISレーベル最大のヒットアーティストが「PERSONZ」でした。




インディーズ時代から人気のあったバンドでしたが、名曲「Dear Friends」で大ブレーク。




今は亡き渋谷のライブインで最初にPERSONZを見た時の激しい感動。




JILLのヴォーカルも素晴らしかったけれど、私は本田毅のギターテクニックに完全に魅せられてしまいました。




すぐにディレクターと共にARBオフィスへ行き契約をオファーし、見事成就。





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右のアルバムはセカンドの「DREAMERS ONLY」。




私が一番好きなアルバム、ジャケットです。




と、ここまで書くと担当したアーティスト全てがヒットしたように思えてしまいますが、そんなことはありません。




不発も沢山経験しています。




まだまだこの他にも紹介したいアーティストはたくさんいるのですが、とりあえず今年はここまでにしておきます。




音楽と共に歩き続けた20~30代でした。