私もこうありたい
昨年10月に母を亡くしました。
ひと月あまりの闘病生活を経て、眠るように亡くなりました。
19年前に父が亡くなった時、私はレコード会社の宣伝部次長という役職にあったため、葬儀・告別式が会社主導で行われてしまいました。
私の父の葬儀だというのに・・・・・・・・・・・
山のような花と数えきれないいほどの弔問客の対応に疲れ果て、父との別れもそこそこに会葬御礼の挨拶を済ませ、火葬場に向かいました。
その間にお寺の住職と法要の打ち合わせをしましたが、戒名料とお布施の額にどれだけ悩んだことか。
二度とこんな思いはしたくない。
母が逝くときは家族だけで静かに見送りたい。
そう心に決めました。
だから昨年母が逝ったときは、母の死を一切公表しないよう会社に頼みました。
そのお陰で、僅か3日間でしたが、家族だけで母の思い出を語り、ゆっくりと、静かに見送ることができました。
先日亡くなったつかこうへいさんが、今年の正月に書いたという遺書を読み、共感を覚えたのも母のことが頭に残っていたからです。
私も逝くときは、かくありたいと思っています。
友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはいけないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、
戒名も墓も作ろうとは思っていません。
通夜、葬儀、お別れの会も一切遠慮させていただきます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間
対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なるご厚意、本当にありがとうございます。
2010年1月1日
亡くなる半年以上も前に書いた覚悟の遺書です。