「俺は、中小企業のおやじ/鈴木修」を読んで | ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

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音楽が好きで、映画が好きで始めたブログですが、広告会社退職後「ビジネスの教訓は、すべて音楽業界に学んだ」を掲載しました。

経済危機だからこそ、スズキ自動車の発展から学ぶ


鈴木修・・・・・・・・・・今や時の人である。


「かつてない危機をどう乗り越えるか」のキャッチコピーが店頭に並ぶ。


スズキは二輪自動車メーカーとしてスタートした後に、小型乗用車の世界で成功しました。


古い話で恐縮ですが、私が高校生の頃、360cc以下に限定されていた軽自動車には16歳で免許が取れたため、車を運転する高校生がたくさんいました。私もその一人でした。
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私が乗っていた車は富士重工の「すばるR-2」でしたが、当時の一番人気はホンダの「N-360」。通称「エヌサン」です。特に真っ赤な「N-360」、は大人気でした。カッコイイ車でしたから、これに乗っていると女の子にモテました。もちろんエンジンは2サイクルの2気筒です。


当時の軽自動車のラインアップにスズキの名前はありましたが(スズキフロンテ)、少なくとも若者には人気がありませんでした。


このスバルで箱根の山に登った時にはさすがに苦しかったのをよく覚えていますし、東京都内の有名花屋に突っ込んで高価なショーウィンドーを壊して高い弁償金を取られたことなどが昨日のことように思い起こされますl


当時の高校生って案外ませていましたね。


つまり軽自動車の歴史はかなり古いということを言いたかったのです。


カリスマ経営者と言われる鈴木から学ぶ不況に克つ心得には共感するところが多い。しかし、ワンマンであるがゆえに企業存続のために必要な後継者の育成ができない。


これには次代のスズキを担う後継者に指名した元経済産業省役人の娘婿が急死してしまうという不運もありましたが。(鈴木修自身もスズキの2代目社長の娘婿です


いま未曾有の経済不況に立ち向かうため、79歳の鈴木は会長兼社長CEOとしてスズキ自動車のさらなる発展に向け、今日も現場主義を標榜しながら社員を叱咤激励しているそうです。


同姓であるカリスマ経営者セブン・アンド・アイの鈴木敏文に似ています。


話はそれますが、ホンダのハイブリッドカー「インサイト」が予想を遥かに超える売れ行きで、先行するトヨタのハイブリッドカー「プリウス」を抜きました。


低迷する自動車業界にとって久々の明るい話題です。


勝因の第一は価格です。


最低価格233万円のプリウスに対してインサイトは189万円。何と44万円も安い!


価格を下げるためには、徹底的に個々の部品を追究して車体を軽くしなければなりません。さらに車体を軽くしているので燃費もよくなります。新車開発にとって車体の重量は大きな課題だといいます。


トヨタも5月には205万円のプリウスを発売するとか・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、話をスズキに戻します。
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スズキは1979年に発売した「アルト」のヒットで躍進のきっかけをつくり、1993年に大ヒットカー「ワゴンR」を発売し、軽自動車業界でのポジションを不動のものにし、東南アジア、特にインドで大成功。車の本場米国でも1981年には大手のGMと業務提携し、その後両社の関係はお互いの株式を持ち合う資本関係にまで発展しました。


社長就任時に3232億円だったスズキの売上は鈴木の強いリーダーシップの下、30年間で3兆円を超えたのです。



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2008年11月、経営の苦しいGMからスズキの保有株全てを買い取り資本提携を解消しました。いわばスズキがGMを救済したことになります。


スズキの発展に大きく影響したのが1998年の軽自動車の規格改訂でした。


全長が3.4m、全幅が1.48mに拡大されたにもかかわらず、エンジンの排気量は660ccのまま据え置かれたのです。


車体が大きく重くなれば、それだけコストもかさむし、燃費も悪くなります。そのため当時のスズキではいっそうのコストダウンや燃費対策を行うため「1部品につき1グラム軽く、1円コストを下げよう」と2万点以上の部品ひとつひとつのコストダウンを実現させたのです。


このときに「小さく」、「少なく」、「軽く」、「短く」、「美しく」というスズキの経営ビジョンの原型ができたそうです。


鈴木が後継者を育てられなかった原因に連合艦隊司令長官だった山本五十六の言葉を引用しているところがありましたので最後に紹介します。


「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」


これが山本五十六語録にあるのすが、鈴木は「やってみせ・・・・・・・・させてみせ」まではできるのだが、どうしても「ほめてやる」ができなかったそうです。


鈴木が「古い経営者」、「ワンマン経営者」と言われる所以ですが、鈴木はそんなことは百も承知で、それでもなお自分を超える人間が社内から出てほしいと願っていたのです。


今では「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば人は育たず」と本書の中で書いていますから、変わったのでしょう。


スズキが娘婿にと白羽の矢をたてた経済産業省のエリート官僚が2001年に請われてスズキに入社。順調に後継者としての道を歩んでいたが、2007年に癌で病没してしまうのです。鈴木の悲しみはいかばかりだったでしょうか。


だから変わったのです。だから変わらざるを得なかったのです。


鈴木語録の中で私が一番好きなのは


「小さな市場でもいいから一番になりたい」です。


これからのスズキがどのように成長していくのかは分りませんが、本書には経営の基本が現場での事例として数多く紹介されています。


読みやすい本なので、お薦めします。

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