ケニアと日本のかけはし | ブログ版PB通信

ケニアと日本のかけはし

ルワンダフルコンサートでピークを迎える「2010年 夏のアフリカン10days」第一弾として、7月2日、ケニア人留学生ハンナさんをお迎えして、ケニアのことや日本のことをざっくばらんに語り合う会を行いました。

スタイルとしては簡単なおしゃべりの会だったのですが、とても素敵な話が多く、本当にやってよかったと思います。
ハンナさん、集まってくださった皆さん、どうもありがとうございました。

$ブログ版PB通信-20100708
きちんと発表資料をつくってきてくださいました。
手前はケニア商品のフェアトレードなども行うラフィキさん。いつものケニア風。


異文化を感じる話、動物の話(ダチョウめちゃくちゃ速いとか)、自然の話などが私達日本人の心をアフリカにひきつけるのはもちろん、ハンナさんが日本に来るまでの話がとても感動的でした。

ハンナさんの日本との出会いは子供の頃、お父さんが日本製・中国製・ケニア製のナイフを買ってきました。その中で日本製のものがいつまでも切れ味がいいのを見て、日本に一目置くようになります。

そして高校生のころ、「もったいない」でおなじみのノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイさんが、活動の一環で自分の高校に回ってきました。
そして、マータイさんから日本はとてもいい国だと聞きました。

これらの経験があって、もっと日本のことを知って、言葉も話せ、日本のことを紹介できるケニア人がいたらいいのにと思い、自ら若い内に日本のことを勉強しようと思ったそうなのです。
(日本との交流がケニアのためになると思ってくださったのですね。とても嬉しいです。また、ハンナさんは、マータイさんのケニアや世界を良くしようという活動が広がっていることの生き証人ですね。マータイさんの話はきっと人を動かすものなんでしょう。)

しかし、ハンナさんはそう簡単に日本に来られたわけではありません。
お父さんは日本は物価が高いからと反対でした。
また、自分で働きはじめても、日本に行くツテがありません。ハンナさんはアジア人に会うたびに「日本人か?」と聞きまくっていたとのこと。

――やがて、その努力が功を奏します。ある大きなホテルで働いている時のこと、ついにツテを得て、日本に行く糸口ができました。
その方が広島に住んでいたという理由で、ハンナさんは広島に来ることになったのだそうです。
今の大学に入る前に福山で日本語を勉強していたそうなのですが、そういう理由だったんですね。

ということは、ハンナさんは今の大学に入るために日本に来たわけではなかったわけです。今の大学には、一から応募要綱とか調べて、試験を受けて合格したんですね。エライface08

今はハンナさんは、ケニアと日本の架け橋になりたいとのこと。
ケニアに日本のことを紹介できるようになるだけでなく、日本でもケニアのことを知る人を増やしたい、だからケニアに行きたい人がいたら自分が手伝うと言っていました。
今回の発表がすべて面白かったのも、ハンナさんのそういう思いがあふれていたからなんでしょうね。
すごいなあと思います。そして、絶対にハンナさんはやがて立派な架け橋を作ることと思います。

アフリカ行きたいなあ(←「アフリカン10days」にもっともハマっている私)。
行けるようになったら、ハンナさんに真っ先に伝えます。
あと、やっぱり世界の人から見た日本のイメージはとってもいいんですよね。これは貴重なことだと思います。
それを裏切らないように、ちゃんとした日本でいられるようにがんばらないといけないですね。これは。

(倉庫番@広島“手づくり”平和活動倉庫


広島ブログ