忘れてはならない、この10年を。

お目通し下さり光栄です、京の拝み屋

西陣の拝み屋です。

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東日本特集が、あちこちで始まりましたね。

うちにはテレビがありません笑、しかし

最近は家族と過ごす時間を増やした影響で

家族の持っているワンセグを見せてもらう

ことがよくあります。

今朝は報道番組で三鉄(三陸鉄道)で追う

当時の映像を観ていました。

宮城県気仙沼市、わたしの恩人がいる場所。

その恩人はいま、塚の中で眠っています。

家族にふいに恩人の話をしながら、

「療法家になれって言われたのに。

 ごめんね、マスター」と口にして、涙が

流れそうになりました。

マスターとは、復興支援で出会いました。

現地のボランティアのお父さんみたいな

存在。

電話すると「えみこさん?」と下の名前で

呼ばれるのが、最初はくすぐったかったです。


一度だけ、マスターに靈氣させて貰った

ことがありました。

2014年、現地調査に宮城を訪れたとき。

マスターは、病院から退院してきたばかり

でしたが、周囲にはそれを明かさずにいた

ようでした。

当時は現地支援に入りたくて仕方なかった

時期。

マスターのお店の一角で仕事ができないか

打診しに行ったのです。

東北の文化は、靈氣が入るにはあまりに

敷居が高く感じられ。

おまけに震災直後大挙してヒーラーが

訪れ、ぐちゃぐちゃにした後でした。

2年半も廃人化していた己をあのときほど

呪ったことはありません。


「マスター。わたし、ここで需要あるかな」

そうきくとマスターは

「あんだろうよ。俺だって病むんだ。

 みんな病んでるさ」

と返事をくれ。

売らない、と言っていたラーメンを

後日オープンした新店の看板メニューに

していました。

「売らなきゃダメだよ!あれは絶対!」

そんなわたしの言葉を聞いてくれたようで

嬉しかったな。

そんなマスターの死を聞いたのは、その

2年後。

死後8ヶ月が過ぎていました。

自ら人生をリタイアしたマスター。

あの言葉は、遺言になってしまいました。


約束したのに、やれてないや。

ごめんね、マスター。

そう呟くと、泣きそうになります。

きっとわたしの身体を借りてマスターが

泣いているのかもしれません。

自らリタイアしたマスターは、わたしに

逢いには来れません。

でも。

本当に自らリタイアしたのかな。

それをいつか、閻魔大王に問うて

会わせてほしいと願っています。


震災から10年。

あの遺言を果たす。

わたしに出会った人には、必ず

幸せだって言わせてみせる。


観ててね、マスター。

あたしは、やる。

実力不足は百も承知、だけど

引き下がらない。

対価なら、この10年痛みで十分

払ったはず。


必ず。

叶えて頂きますよ、神様仏様。

そこんとこ、ヨロシク!



マスターとわたしの思い出の一曲はこちら。