このことを学習する週末でした。

まぁ、某方たち(集団だよ)には言いたい。


一週間に一度しか、お休みがないのね。

わたしの休みを返してください。



あー、気が済んだ。


「愛と正しさは無関係」。

これを、学んだ週末でした。

そして、このピースがわたしの

ところへやってきたので、気が付いた

ことが幾つもありました。


愛と正しさって、関係ないんです。

正しくなくても、人を愛せるし、愛してるからって

正しくある必要もない。


それをひとは、「無償の愛」って

呼ぶのかもしれないですね。


理解しずらい方に、とある例を出して

ご説明。


むかしわたしは某所にてレイキを学んでおりました。

わたしが所属していたところは「観音系レイキ」って

言われているところでした。

ところが、学んでいくうちにわたしはなぜか観音系ではなく

別系統のエネルギーの方が自分になじんでしまったのです。

それが何系かは、詞波レイキ神秘伝の中では生徒さんに

お伝えしておりますが(別段声高にいうことでもないと思うから)。


結果。

所属元とは、年中もめるようになります。

当時はすごく謎で、わたしはそんなに出来が悪いのかと

心底落ち込んだりしましたが。

今回のことで分かったのは、所属元は「正しくないから

改めなさい」と愛の名のもとにわたしに指導をし、だけど

わたしはそれを「愛しているっていうなら、わたしのことを

わかってほしい」って言っていたに過ぎないんだってことが

よくよく判ってしまったわけで。


なるほどねー。

これが密教でいわれるところの

「みんなが頑張ったのに悲劇は起きた

 なぜならそこに学ぶべきことがあるから」

ってことになるわけですな。


納得納得。


20代のころから大好きな詩人に銀色夏生さんって

方がいまして。彼女の詩集のコレクターでした。

彼女の詩にこんなのがあります。


「正しさの中にいるから あなたには

 ここから先は 理解できない」


うまい!!

(プロに失礼な言い方・・・・・・すいません)


愛があれば正しくなくてもいいのかって言ったら

それは違うんだけれど。

大切なのは相手が許して受け入れてくれるかどうかで

それがなくなったってことは、愛し合えなくなったって

ことだから、潔く「ありがとうございました」ってことを

お互い認めて、次のステップへ行けばいいんじゃない?

って思ったりしました。


それが最後に相手に渡せる愛情だと思う。


稲葉さんが歌ってたっけ。


愛はひ弱いものだから

それをなんとかできるのは

愛情だけなんでしょうか?みたいなことをさ。


きゃー。

だから大好き、稲葉さん。

あの世界観は本当に素敵。


正しくなくても愛は存在できますよ。

ただそれは、愛し合えるってことが

必須条件な気がしますね。

相手のことを受け入れるつもりだとか、

受け入れてもらえなくても、最低限

攻撃はしないって道理を守るだとかね。


それを失ってしまったとき、人は

本当に「ひとでなし」になる気がする。

ひとでなしの、底の底を見た気がして。

この法則っていうか、定義って深いなぁって

ちょっと思っちゃいました。


正しさにこだわらない愛を、

いまのあたしは知っています。

だからこそ、すとんと腑に落とせたのかも。

なんだ、案外贅沢に生きてんじゃん。


ちょっと優越感に浸った(笑)。


今週も、頑張りましょう☆