藤と蜂と私(春に思い出す幼少期の記憶) | 国際臨床保育研究所BLOG〜辻井正→→勝山結夢〜

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うちの祖父の家が


ドが100個くらい付く田舎なんだけど、

(もう彼は空の上ですけどね)



子どもの頃は連休に里帰りしていました。

長時間の奈良からのバスに酔いながらも

なんとか十津川温泉バス停に着いて、

落ち着かせて、マイクロバスに乗り換える

というほど奥地なんです。

マイクロバスもあまりないので、

時におじいが気を利かせて迎えに

来てくれたり帰りは送ってくれるんだけど、

この彼の運転に、

乗った人は全員とどめを刺されました。

(急発進,急ブレーキのすごい運転だったから)



最近、

各地でたくましい藤の花を目にして

香りと美しさに心奪われるのと同時に



忘れがたい記憶が共に呼び起こされるわけで…



💬ほわほわほわほわほわわわわわぁ(回想の音)



まだ5歳か6歳の私…


おじいの家は、

家に続く公道から石階段五段くらいを

上がると敷地内に入るつくりなんだけど、

その左側に毎年見事な藤が花を咲かしていました。



ポカポカ陽気のある日、

サンダルでちょうどって日だったわ。


まぁ遊ぶものなんてないから

外に出て花ちぎったり、

苔剥がしたりして遊んでたわけですよ。

(苔剥がしたの、

   後からおじいに死ぬほど怒られたわ)


あ、そう言えば、

腐りかけのピーマンをおじいから「不要」という

確認してから遊んでいいと言うことで、

おじいの畑で拾うて、

石器で細かく切って、

粉コーヒーの茶色めの瓶に

瓶詰めにして

昼食カレーの日に出したこともあった。


気づくやろう思ってたら完成度高すぎて、

「お、うまそうやのら」とか皆様言い出して

親戚みんな信じてカレーに取り出して…

内心焦り出すけど私は言い出せず…

(あとは想像にお任せします)


これは後でおかんに

死ぬほど怒られた記憶も今蘇った。


話がそれましたが、

藤の花に魅了された私は

余計なことしにいくわけよ。


ぶら下がってるたわわな

藤の花を木の棒で激しく揺さぶったのよ。


そしたら

地響きのような音と共に、

黒い玉が飛び出してきた🐝


そうですクマバチ(クマンバチ)3匹くらい。

向こうにしたら、侵入者ですよね。


「刺されたら即死」みたいな情報を

刷り込まれていたのもあって、

私はオワタって思いつつ身体は階段を降り

公道へ向かって逃げ出した💦


うちのおじいの家、

坂を上がっていったとこにあるから

私は下り坂を逃走開始なわけよ。


けど、

陸走ってる私と

飛んでる蜂とじゃ比べ物にならないわけで…


耳の付近に

ブーーーッの音が次第に大きくなるのを感じつつ、

急な坂の下りに後押しされながら絶叫して、

泣きながらもサンダルの足は坂の傾斜の激しさに

逆にもう止められなくて坂下泣きじゃくりと絶叫

の中逃げたと言うか途中からは自動で降りてた。


昼間でも人間がすれ違うことがほぼない

田舎だから、私の絶叫が向かいの大きな山に

響いて、やまびこ状態やったのまでは覚えてる。

今の言葉で言うカオス、ホラー。

誰も出てこなかったのも覚えてる。


その後どうしたかは覚えてない。

刺されてはないのは確か。


だから、その時に学びました、


“記憶とは感情を揺さぶらないと定着しない”


と言うこと。


教科書やネットに記された情報も便利だけど、

結局脳裏から離れない記憶の形勢は

五感と感情を揺さぶった瞬間に焼きつけられる。


まさに保育ってそうだよな。


と思うある春の日。


藤の甘い香りと苦い思ひ出


京都府南丹市にて




◾️インスタグラムはこちらより




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