昨日はリラックスヨガセラピーのクラスをリストラティブヨガセラピーに変更して
クラスをやりました。

本能的にどこかに不安があるときって閉じこもってしまいがちなのかなって思います。
自分のテリトリーや自分の中に…。

でも、ヨガを体験されて何か自分の中で選択肢が広がると
そういうときにこそヨガに行きたくなるのかもしれません。

「それでも、ヨガの空間にいたいんです」
そう言われたときは、心底
「あぁ、ヨガやっててよかったな。リストラティブ学んでよかったな」って思いました。


$Megumi Yoga ~ ヨガセラピスト・Megumiの日記 ~

生きていれば避けては通れない不調があります。

年齢と共にやっぱり外見的なものだけでなく
内側にも何かしらの変化があるのかな、と。
病院にかかったり、我慢してたり。
そういう状態を感じるとやっぱりそれがストレスになると思うんです。

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そんな自分を認めてあげられなかったり。
見て見ぬふりをしてしまったり。
それがなにかのタイミングで爆発するか
さらに別のストレスとなってあらわれるかもしれません。

ヨガの最終的な行程として一番最後にやることは
「認める」=三味(サマディ―)


今、自分がここにいることを認める。
今、自分が疲れているのを認める。
今、自分が苦しいのを認める。
今、自分が相手に何かを求めてしまっていることに気づき、認める。

今、自分はこの人のことが大事なんだなという気持ちを認める。

今、がんばっている自分を認める。

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私も、正直苦手です。
なぜかそういう状況を迎えると「認めない!」と意地を張ってしまう…
周りになんと言われようが認めないところがあります。

でも、自分の向こう側に誰かがいて
その人のことを想うと自然といつか認められる時が来るんだなと思ったことがありました。

自分もおんなじ。
自分の向こうにもう一人の自分がいて
苦しんでるときはきっと泣きながらこっちを見てる。
疲れている時は何かを求めるようにこっちを見てる。
そんなもう一人の自分が見えた時、初めて自分のことを認められるのかもしれません。

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集中(ダラーナ)=欲する

瞑想(ディアーナ)=感じる

三味(サマディ―)=認める

(ここからはうけうりですが)
ダラーナの段階ではある程度の努力が必要です。
それに対して、動機(いつもしっかりとした目的意識)をもつことが大事。
しかし、いつまでも努力を続けているとそのうちに疲れ果ててもう嫌だ~ってことになってしまう。

ディアーナで能動的な心の姿勢から受動的な姿勢へと切り替えます。

そしてサマディ―で「人事を尽くしたら、あとは天命を待つ」
そんな気持ちで流れに身を任せ、さまざまなことを「認める」心を持つこと。

何が起ころうともすべてを受け入れ、
何を感じようともそのすべてを歓迎してあげること。


なんでもそうだな~って思います。
物事や人に対して、自分がどれだけのことをしてあげられたか。
ただ純粋に、できることをやっていたか。
見返りを求めると、そうじゃなかったときに苦しいのは自分なんですよね。

たとえ自分の思い通りにならなかったとしても
「まぁいいや」ぐらいの気持ちで行く末を見守っていられるくらい
いつもおだやかな自分でいたいと思ってます。

穏やかでいるには、常に自分が満たされてることが一番なので
それを私はディアーナの段階で拾っていき
いつも喜びや愛しさやHappyを自分の中に充満させてます(笑)
どんな些細なことでも…

それが外に向いてしまうと、
押しすぎてしまったり、人に迷惑をかけてしまったりして
最近は反省の連続。
(迷惑をかけた方々…ごめんなさい!でもそこには愛があるからだよ♡←ポジティブ)

でも、失敗があるから気づくこともあるんだな、とも思います。


やれるだけのことをやったら、どんな結果でも受け入れられると思うから
後悔がないように生きていきたいなと思う日々です。
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ヨガって人生の教科書みたい♡