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裕福な家庭に潜む隠された狂気を描いた衝撃作。
ミヒャエル・ハネケ監督の三部作「感情の氷河化」の二作目です。
「セブンス・コンチネント」と同様、この作品も1つの家族の終末が描かれています。しかし、家族みんなで1つの場所へ辿り着くような「セブンス・コンチネント」とは、まったく異なります。
家族の崩壊。
否、元々「家族」などと呼べるほどの関係が築かれていなかったのかもしれません。
心が通い合わない親と子。
まるで磁石のように、プラスとマイナスで1つの物を形成しているのに、プラスとプラス、マイナスとマイナスだと反発しあうような・・・。
絶対に合わさることのない自然の摂理がそこにあるようでした。
少年ベニーの有り余る好奇心は狂気へと一気に加速していきます。
その狂気は、ビデオカメラと接続しているテレビから映し出されます。
私たちは、実際に観ているテレビではなく、ベニーの部屋のテレビの映像からベニーの狂気を知るのです。その演出が逆に私たちをその狂気の現場にいる1人であるかのように恐怖を植え付けています。
しかし、私はベニーの狂気より、その後のベニーの言動に恐怖しました。
まるで何もしていなったような普段通りの行動。
しかし、現実は変えられず、少女から流れた血をふき取る冷静さ。
さらに、自分の狂気を録画したビデオを巻き戻して繰り返し鑑賞する冷淡さ。
丸刈りにしたベニーは何を思ったのでしょうか。
初めは宛てもなく外を歩くさまを見て、家に帰りたくないという良心の呵責がようやく芽生え始めたのかと思ったのですが、最後まで観るとそんな甘い考えは捨てたほうが良かったことに気付かされます。
ベニーは何ら責任など感じていないのでしょう。
そして、その責任は両親へ転嫁します。
この親にしてこの子あり。ベニーの両親にも狂気が隠されていました。
これは、家を出た娘エヴィが始めた「操縦士と副操縦士、乗員、乗客」の金儲けとリンクしているようにも受け取れます。
連鎖。
賭けを味わうスリルの連鎖とベニーから両親へと伝わる狂気の連鎖。
決して狂気を抑え込もうとしなかった両親の良心は、ベニーから狂気と同時に責任も転嫁されてしまったことで厚い氷河の中に閉じ込められてしまったようです。
そして、ラストのベニーの言動は、親に責任を転嫁したことへの仕上げだったのでしょう。
ひとかけらも更生する気持ちが見えなかったベニーに、あの言動が家族の更生からの裏切りにはとても見えませんでした。突発的に行動するも、それらは確信的でさえあります。
この作品を観ていると、現代の日本における少年犯罪や猟奇犯罪を思い起こします。ベニーの父親が行った狂気と同じような犯罪が、日本でも実際に報道されていましたしね。
ミヒャエル・ハネケ監督は、実際に起きた少年による殺人事件を新聞で読んでいるとき、容疑者の少年が動機として
「どんなものかと思って・・・。」
と供述したと書かれていたことが、この作品を製作する契機だったと語っています。
ベニーは、ビデオと現実を同一視してしまったのでしょうか。自分はビデオの中にいる人間だから何をしようともそれは現実ではないと・・・。
「どんなものかと思って・・・。」
子供であるが故の危険な言葉です。
子を持つ親がこの作品を観たとき、ベニーをどう思うのでしょうか。
10代の若者がこの作品を観たとき、ベニーをどう思うのでしょうか。
この作品を観て、唯一、救いがあったとすれば、
「この作品は映画であって現実ではない。」という意識を保つことができたことでしょうか。
決して、この作品の世界に入り込まないように・・・。
Title:
BENNY'S VIDEO
Country:
Austria/Switzerland (1992)
Cast:
(Benny)ARNO FRISCH
(Mother)ANGELA WINKLER
(Father)ULRICH MÜHE
(Young Girl)INGRID STASSNER
Director:
MICHAEL HANEKE
