が、少し前まではなんら取り得のない、民芸品は少なく、貧しい食文化圏だった。
思い起こせば、食品を買うという行為自体少なかった。
米麦蕎麦はもちろん、味噌醤油も中学時代まで買った記憶がない。
納豆やらも作っていた。
野菜果物では、ミカン、ブドウ以外も買った記憶がない。
リンゴやプラム(田舎ではバタンキョ)、クリ、カキ、グミは庭で採れた。
ポポウやらビワもわずかながらあった。
ナシやらモモは、近所からもらったし、イチゴなどはいやになるくらい食べられた。
何種類かのメロンや芋も自家製。
キノコやセンブリは、私が採取担当だった。
卵は勝手に鶏が生んでくれる。
牛乳はなかったが、ヤギの乳は毎日飲めた。
魚は川魚中心で、肉は希だった。
が、今の肉より遥かに美味かった。
たぶん、肉が珍しいだけでなく、質が違っていた。
かつては、クジラは安物の代名詞だったから、クジラやニシンもよく口にした。
そうそう、今や牛タンとか言って珍重する舌。
昔はかなり安物で、肉の少なかった我が家では、よく食べた。
でも、今考えると贅沢な暮らしである。
野菜はすべて採れたて。
果物は、もぎりたて。
キノコだって、加工用などを除けば、最悪前日採り。
我が家の飯は取り立てて美味いとは感じなかった。
仙台では感じなかったが、東京では驚いた。
定食屋の米の違いが分かった。
しばらくは、水道水が飲めなかった。
昔よく食べた、ばあちゃん得意のうどんには、まだめぐり会えていない。