かなり昔の話である。
政治家としては赤ちゃんだった石原さんが、嵐を呼ぶ男たちの会の幹事長となったことがある。
強いものには巻かれろ政治に反発した、当時から右翼だのと呼ばれた反共連帯みたいものであった。
幹事長は石原さんだが、実質親分は自殺した中川さんの父で、やはり自殺したらしい一郎さんや、実質罷免された唯一の大臣であった藤尾さんあたりだったろう。
後に、今元帥と呼ばれた中曽根さんの命令に従わず、ダメなものはダメだとして、韓国よりの世論や台湾を無視し中国にすり寄る政府に反発。
藤尾さんにいたっては、中曽根さんをアイツとか呼んだりもしていた。
ハマコウなどの暴れものもいたから、一部庶民の人気があった一方で、マスコミなどからはヤクザ集団と毛嫌いされた。
が、まだ当時のマスコミには多少の良識もあった。
ミッテランの女性問題は有名だがマスコミが取り上げることはなかったように、日本でも毎日別宅から登院する議員を話題にしたりはしなかった。
立場は幹事長だが、まだまだ赤ちゃんだった石原さんは小さくなっていた。
石原さんが総裁選挙に出て、初めて政界の怖さを知る。
今日の石原さんには、中川さんあたりから流れる血を感じることができた。
質問者は役不足。経験の違いや腹の大きさ、視点の違い、見ている世界の大きさが違い過ぎた。