反安倍的な記事を書いているが、どっかの原発アレルギーというか異常過敏症の老人とは違い、しっかりした理論に裏打ちされていて、あの人からはネトウヨとか呼ばれているが、どちらかというと左派的だが、私は尊敬している方がいる。
名前はアンネ・フランクに似ているが、おそらく男性だろう。
その方のアドレスが、薫ん子ちゃんちだったから、今頃気付いたが、あの城近くではないか、と聞いてみた。
ドンピシャである。
その方の閨付近は、私も多少は知っている。
上海からの一時帰宅の息継ぎ場所、大陸の垢を洗い流してくれた檻のある館。
多少スリルある地域だったが、思い出深い場所だ。
私は、そこから10分くらい離れた、キム兄が身を隠していた島へ渡るフェリーターミナル近くの、20階か30階あたりにある事務所に10回くらいお世話になっていた。
トイレには鍵が無いと入れなく、最初は驚いたが、まだ城の面影を残していた時期だから、やむを得まい。
このお城は、世界一神経を使う場所としてゴルゴ13ではお馴染みの場所だった。
前に書いたかも知れないが、私とほとんど同年の先輩は、酒屋で飲んでいたのは覚えているが、朝にはパンツ一丁で道端に転がされていた場所であり、別の先輩は、隣でパンパンという音がしたら、近くの男が倒れていたという地域だった。
一方、特別室のある競馬場は、生まれて初めて見る世界。
三階の専用玄関には、ロールスロイスだのマセラティだのが列をなしてやってくる世界。
ここの親分は、世界屈指の金持ち。
かたや島南部には、人数さえ把握できないだろうベトナム難民村があれば、家賃世界一とも言われた土地に平屋を持っている大金持ちもいた。
とにかく、何でもありの世界だ。
火事での火消しは、金しだい。
入出国でさえ、金しだい。
人の値段は安かった。
一部に、そんな世界が残っていた。
聞き分けの無い娘は、ここに売られてしまうとも言われていた時代である。
かつては、世界一パイロットに嫌われていた空港も海上に整備され、安全な空港になっていた。
数年前に久々に訪れて、驚いたものである。