
私がウチナンチュなら、天之岩戸に比定するあたりだ。
この地では。尚は特別な意味を持つ。
その尚のつく叔父が亡くなった。
今だと悪い人間にされてしまうかも知れないが、私にとってはすごい人だった。
誰ひとり親父には苦言できなかったが、叔父は違った。
昨年春先、私が倒れる直前、袴を履いて少しびっこを引きながらも元気よく散歩していたのに偶然出くわしたことがある。
親父が亡くなって喧嘩相手がおらず、急に老化した。
私も倒れてしまい、病院に行けたのは夏近くなってからだが、もはやしゃべることもできず、目だけが生きていた。
先日の父の一周忌には、寂しい話も聞こえてきた。
とうとう、あちらに逝かれたとのこと。
ある意味すごい人だった。
南無阿弥陀仏。
