【寓話】はるか島 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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はるか島は、石垣の西北にある小さな群島である。

明治政府は、清などの管轄にない離れ島の無人島であることを確認し、我が国の領土とした。

その後、清平さんが使いたいと申し出があったから、一時有償貸し出し、後に30年無償貸し出しをした。
はるか島には、清平さん一家らが船着き場を設け、缶詰め工場も作った。



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しかし、清平さんが島を去った後は、世界的に貴重な鳥類強奪被害が増え、一時絶滅の危機に陥り学術調査も行われた。

この頃までは、隣国も日本領土と認識しており、島近海で遭難した隣国人を救助した日本へ、国として感謝状を送ったりしている。

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事態が急変したのは、1960年代後半からだ。

それまでは、寂れたはるか島として相手にしていなかった金作さんが、1971年急に俺の島だといい始める。


実は、離れ小島付近には、膨大な燃える水があることがわかったからだ。

核兵器も持ち、力をつけてきた金作さん。






あの島は、なあなあマアマアでいきましょうや。

と今太閤に言ったという話が伝わっている。

これは変な話だ。

もともと我が国だったところを、仲良く共同墓地としましょうや、と言っているのと同じだ。


が、相手には核兵器も机の脚以外はすべて食べる輩も、わんさかいる。
国内にさえ、米国と隣国に操られた輩が、勝手なでっち上げ作文まで出す。


そのうちに、離れ小島は我が先祖が見つけたという古文書がでてくる。

最近あった焚書政策で、博物館の書物さえないのに、なぜか急に出てくる。


で、あの事件だ。

よく垣根を越えて柿や葡萄を盗みに来ていた連中が、検察船に体当たりしてきた。

時の幕閣は、隣国傀儡政権のポッポや空缶。

主筆家老は、ガチガチの隣組。

家を荒らされたが、咎なしで返した。


あまりのひどさに、勇気ある旗本が、ことの次第を浪曲にする。

また、国が盗まれることを恐れた直轄藩の旗本により、はるか島は結果的に国が再度管轄した。


が、一部隣国より浪人らは、なあなあマアマアの約束を破ったのは我が国だと騒ぐ。

歴史、時系列を無視する考えは彼らの得意技だが、これはあまりにも醜い。






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