老婆は両手を高く上げ、身体全体を震わして泣き叫んだ。
崩れ落ちそうになるのを、2人の若い学生が支える。
老婆は叫んだ。
ああ、あの忌まわしい日々。私の青春は失われた。
金などいらぬ。
あの日々を返して欲しい。
80はとうに過ぎているはずなのに、声は遠くまで通る。
私たちは、赤と青の筋があるシーツにくるまれて、日本軍のヘリコプターに乗せられたのです。
悲惨な旅でした。
食糧はほとんど与えられない。空腹をまぎらわすため、ガムをかんでいる兵士の隙をみて、メタノールを飲んだりもしたのです。
それからは、さらに悲惨です。
UNという文字の書かれたドラム缶に詰められ、配給品と呼ばれてキョムサンホクドあたりをジープで転々と移動させられました。
本当につらい日々でした。
休めたのは、クリスマスの時くらい。
本当に日本軍は酷かったのです。
※追加
ヘリコプターが使われたのは、太平洋戦争後である。
朝鮮戦争ではよく使用された。
ジーフも同様。
メタノールを空腹を紛らわせるほど飲んで、生きていられる人はほとんどいない。
日本軍に、クリスマスを祝う習慣はなかった。