そんな話があるものか!
藤野真田丸は狼になった。
蝦夷熊も大きな体を震わしている。
いつもの赤ら顔が蒼白で、額には脂汗が光っていた。
熊やん。俺は許さないぞ。
藤野がまた声を荒げた。
一年坊主の岩原は、そんな彼らに戦々恐々である。
後に暴れん坊議員の代名詞ともなった、房総の猪も、まだオムツをはいた一年生。
先輩たちの荒れようを静かに眺めているしかなかった。
中損寝内閣が成立した。
下州狼の藤野は、どうみても相応しくない文部大臣となる。
大臣になってすぐ、さっそく問題となる発言を週刊誌に語る。
それは隣国との関係を資料に基づき語ったものだが、ハングリー派は待ってましたとばかり肉にかぶりついた。
藤野はそうなるだろうと分かっていて、敢えて週刊誌での会見に応じたのである。
週刊誌のハングリー協力者から連絡を受けた中損寝は焦った。
それまでやじろべえと揶揄されながらも、ハングリーとバランスを取っていた政権が危うくなる。
中損寝は、藤野を呼び出し、記事訂正とお詫びを載せるよう依頼する。
が、これは餌が欲しいハングリー週刊誌にも藤野にも拒否される。
やがて週刊誌会見内容は、国会ハングリー派だけでなく、それを伝えたハングリー系あっちっち新聞を通して隣国国会でも話題になり、ついに国際問題となった。
中損寝は藤野に、国会での謝罪と会見内容取り消しを強く求めた。
が、藤野はガンとしてきかない。
なんで歴史事実を国会議員がしゃべっちゃなんねえんだ。
だから、ハングリーの奴らが嘘をばらまいて国民を惑わしている。
俺は謝罪などしない。
訂正なんざ、けしてするかい!
じゃあ、文部大臣の辞表を書いてくれ。
何言ってるんだ。
あんたがやってくれって頭を下げたから大臣になった。
俺は辞表なんざ書かねえよ。
おめえが罷免しろ!
中損寝内閣は、連日ハングリー派からの質問攻め。
親分も中損寝の首すげ替えを考え出したとの噂も耳に入ってくる。
そんなこんなで、日本憲政史上30年ぶり、いやそれまでは形だけだったから、実質史上初の大臣罷免が実行されたのである。
追記
藤野真田丸の神界序列は、中損寝親分よりはるか上位、大平四国牛より少し下位である。