かつて時民党内に、『青い吹雪会』という集団があった。
これに関して、ハングリー会の見方が実態無視で面白い。
確かに『青い吹雪会』の名前は、『青い林檎』を書いた岩原の提案で名付けられたものだろう。
今や土佐犬に例えられる岩原だが、当時はまだ一年生。
オムツをつけたチワワだった。
青い吹雪会には、龍虎がいてあまりに硬い。
そんなイメージを持たれぬように、まだかわいい主婦には甘い顔で見栄えが良かった岩原を幹事長にあてたのである。
が、安倍川餅嫌い派で著名な、旧ハングリー会の人たちは得意の歴史捏造で、土佐犬にメタモルファーゼした岩原を追い詰める作品を発刊した。
いや、本じゃないから発刊という言葉は正しくはないだろうが。
青い吹雪会の頭(かしら)は、当時チワワだった岩原ではなく、蝦夷熊だったろう。
あるいは、妻チョゴルは十二単の原点であるという論に最後まで首を縦にふらず、ハングリー会から狂人呼ばわりされて憲政史上実質初の国務大臣を罷免された、下州狼などが親分だった。
確かに津軽血判書の発案は岩原だったかも知れない。
が、蝦夷熊も下州狼も霊界に旅立った今、それを確かめる手立てはない。
蝦夷熊は、体に似合わず恐妻家で知られる優しい猛者だった。
また、不憫な運命に生まれた、乳飲み子の時から差別されていた息子をこよなく愛していた。
ハングリー会の人たちは、多くは差別反対を口にしてはいたが、心の中では彼が背負った運命を嫌い差別していた。
蝦夷熊は世界にも衝撃を与える形で鬼籍に入った。
が、愛息子もまた、父に似た哀れな運命をたどる。
一方で、今元勳をアイツ呼ばわりできた下州狼は、最後まで穏やかに2号さんとポチに看取られて静かな最期を迎えることができた。
当時はまだマスコミにも、ミッテランの下半身ネタで騒がないような良識は、日本にも残っていたのである。
しかし、今は土佐犬かも知れないが、かつてはチワワだった人を、今昔無視して語るあたりが、やっぱりハングリーである。