★とりあえず、小説として読んでください。
あるブロガーさんが花岡事件について記事にされ、その中に出てきた名前から思い出した嫌な野郎のことです。
まあ、今となってはちっぽけなことですがね。
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社員になって1年目を迎えようとしていた、冬の終わり。
私はすでに3工場に転勤し、4つ目もあらかじめ知らされていた。
最初の数年は、海外も含めて同期の中ではダントツに転勤が多かったと思う。
小さい時から社会的身分などには無頓着だったが、こうした経験のおかげで、いっそうへんな社会的常識がなくなった。
本社に帰った時、当時常務だかになっていた方に廊下でお会いし、軽口ジョークを飛ばしているのを仲間に見られ驚かれたり、塾講師を辞めて比較的最近まで働いていた下請けに、その会社の社長(現会長)が来た時もはびびっている下請け役員に代わって、その会社では新入社員に近かった私が対応したりした。
そんな常識知らずの若い私の思いだ。
転勤先の若手社員の一部は、顔を赤らめてこう言った。
こんなプライバシー(当時そんな言葉はなかったが、だいたい似た意味)無視の会社方針には徹底的に闘うべきだ。
賃上げ反対。
一人一部屋を!
新しい施設増築のために、庭付き一軒家社員寮を更地にし、旧墓地近く、初代社長敷地脇にマンションを建て、二人一部屋住まいにする。
住居費も、月千円くらいアップする。
確か、そんな内容だった。
賃上げと言ったって、市場価格の半分以下、かつ値上げも1回の飲み代にも満たない。
その反対派の中心が、花岡事件に出る名前と同じで、郷里も近い奴だった。
主張している内容があまりに馬鹿馬鹿しくわがままに映った。
会社が認めなければ、仕事をボイコットし、けしてマンションには入らないとまで言っていた。
結局、私ともう1人だけが馬鹿言うなと反対し、独身者会合にも出なくなった。
私たちは、ボロ家の2部屋を借り、今の言葉で言うならシェアハウス生活をする。
しばらくして私は、別所に移ったが。
反対派リーダーは某工場長の息子らしく、強引で怖かっていた連中もいたようだ。
私がすぐ近くの別工場に転勤になった頃、マンションが完成した。
マンションの方が通勤に便利で安く、経済的にも楽だった。
が、一時とは言え、反対派集会に出ていた私。
とても、ほとんど無料のマンション住まいはできまい。
私たちは、そう話しあった。
しばらくして、嬉々としてマンション住まいしているリーダーの姿を見た。
今ならちっぽけなことだと笑えるが、当時の私たちには腹立たしかった。
似たことも思い出した。
成田空港建設反対とか言っていた党首が、成田から出る飛行機で国費旅行し、幼稚園児のようにはしゃいでいた姿が重なる。
どうも、恥という概念や感覚が全く異なる人がいるのだと教えられたことだった。