【記憶】初物 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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初物には福があるという。
確かに、そうした一面もあるだろう。

特に、かつては瞬時映像固着の能力があった私の場合、その感動や驚きをある程度までは比較的正確に脳内再現できたりする。

それは、頭が産廃物レベルになった今でも同じだ。

ただし、同じ驚きでも、隣国が昨日したような、核分裂爆弾か体育館いっぱいのTNT爆弾であったとするかはさておき、嬉しくない物もある。


また、アメブロにはそうした驚きや感動を与えてくれる方もあり、ボケ老人の私には嬉しい。



では、支障のない範囲で、初物感動・驚きをまとめてみよう。
つまり、感動のピークに近かった、葡萄だの鮑だのについては詳しくは書かない。
それを自分勝手だととるか、深慮だととるかは、読み手の経験などによるだろう。
そうした思いまでは、強要したくない。







・海外出張の初回。
技術指導のような役目を負った私は、マシンガンにも応用されたマックスとホチキスが必要になった。
が、何度依頼しても相手には、何のことだか理解してもらえなかった。
一部の人には、キャラバンが靴を意味するのが当たり前だが、全く通じないばかりか、隊商のように違った意味になることがある。 ダンロップと聞いたらそろそろ履き替えだなと思う人もいるし、また無くすのかと苦い思いと喜びの混ざった複雑な感情に陥る人もあるだろう。


たぶん、一部の方が使っているリベラルとかいう言葉も、欧米の一部で使われていたり、またほとんどの英語圏で使われているliberalという意味ではないだろう。
liberalを非難する方が、なぜかリベラルだと自称していたりする。




・多重人格
ヒッチコックの映画で知られるようになった、なかなか理解に苦しむこの性格。
アメブロなどでも、時々感じたりする。
中には、常時複数端末を持ち、人格ごとに使い分けていそうな方もいそうだ。
イタズラの類いだろうと考えていたが、どうも別の見方が必要だと感じてきた。
ある恐怖から自分を守るための、その方にとっては必要不可欠なことかも知れない。
そうしないと、自分というものに対して否定的になってしまう。
つまり、生きるために脳がそう判断したのだろう。
だから、本人には自覚がない場合が大半だ。
あるいは、そうした自分に虚栄心をはる。

一部には、そうした場合がありそうだ。

まあ、しゃあないのかなぁ。
狭い心の私などは、それに気付かず腹を立てたりするが。






・親切は危険
転んで立てないような人がいたら手をかす。

これは、日本国内なら、だいたいの場合小さな親切であり、転んだのはお前のせいだ、金をよこせ、となったり、セクハラで訴えられたりすることはなかった。
最近、違った見方ができるだとのマスコミも出てきたが。

なお、車で人身事故を起こした場合、『もし動いていたら、戻って轢きなおせ』
なる人生訓らしいものがることは知ってはいた。

が、私は蚤が馬に見える訓練の仲間だと思っていた。
が、ほとんどの日本に住む日本人には、考えられないようなことをする人もいる。


そんなことを、何度か経験している。