≪意見者A≫
最近は、イルボンでもテレビ公開されて分かってきたようだが、李朝時代は華やかな文化が花咲いた。
それを代表するものが、艶やかなチマ・チョゴリの多彩さである。
チマ・チョゴリは、職業別に形、色などが決まっていた。
また、訪問相手や儀礼よっても衣装を変えた。
李朝時代は、大きな争いも起こらず、庶民も貴族も仲良く暮らしていた時代である。
詳しくは、最近発刊の『韓服総覧』を見て欲しい。
≪意見者B≫
あそこには染料技術がありませんでしたから、王族以外は、ほとんど全員白装束でした。
外務大臣クラスでさえ、白装束で来ましたよ。
柄物は、多数の女を献上した見返りに、宗主の満州人国家からもらっていた程度。
ですから、王やその妻でさえ、満州衣装を着ることができただけです。
チマ・チョゴリには、長子を得たかどうかでの差別もありました。
長子のある者は、誇らしげに胸を出すツンツルテンのチョゴリを着ていましたね。
併合してからは胸出しファションは禁止しましたが、田舎では終戦後も、まだ李朝時代の伝統を守って胸出ししている老婆がいました。
差別は酷かったですね。
シルラ派、ナミン派とプヨ派などに別かれ、殺し合いの日々でした。
白丁などは、町を歩いていただけで殴り殺されていましたよ。もちろん殺した両班は無罪になります。
町中を堂々と歩いていた白丁が悪い、ということでしたから。
白丁が丘上に墓石などを建てたら、一族皆殺しでした。
≪意見者C≫
アッペがいけないのです。 そんなことは常識だ。
バカ者が。
アッペがマリオになるのだ。
だから、アッペが悪い。
そんな簡単なことが分からないのかな?
アナウンサーが豪華な、質屋で買っても100万円はする帯をしめていたのも、あんたの沖縄娘の木が揚羽に食い荒らされあのも、みなアッペのせいである。
ネズミを見ると追いかけたくなるニャンコがいるのも、アッペが悪いから。
常識だろうが。
少しは勉強しろ。
くたばりそこないのボケアホ。