今上天皇がお言葉を述べられた。
私は古いタイプの人間なのかも知れないが、お言葉がある前にお言葉を予想したり、根拠なきお言葉予想に基づき意見を述べるのは、あまりに失礼だと感じ、一部日本語理解ができそうな方への苦言コメント以外は、妄想論者の意見は無視してきた。
実際にお話しされたお言葉について、私などが意見を述べるのは不敬やもしれないが、少しおもったことを書いていこう。
天皇のお言葉は平易な日本語であり、素直に聞けるものだった。
当然、そこには右翼だの左翼だのに関係なく、象徴としての思いが滲まれていたと感じた。
言葉は平易だが、意味を理解するのは大変な国語力と心力が必要であり、非常に難解でテレビコメンテーターなどが解説していた内容は、深意にほど遠いかも知れない。
もちろん、私のような石ころには、その広さ、苦しみなどははかりようがない。
私の想像しうる心の大きさや苦しみ・喜びや慶びが石ころ大なら、たぶん今上陛下のそれは、ゴビ砂漠くらいはあるだろうからだ。
古代大王時代や後白河上皇時代、後醍醐天皇時代、あるいは明治天皇時代などはどうだったのかは知らないが、日本歴史上、天皇や天皇という名前が使われなかった中世などを含め、今の天皇の位置にあられた方は、元来象徴であり、政治的力はほとんど持たない存在だった。
明治天皇が軍馬に跨がられる姿を見た女官が、『天皇が天皇でなくなってしまわれる』と泣いたという話もある。
陛下のお仕事は、我々には公用業務しか伝えられない。
神道の御子として、日々祈願されていることや、祖でい関連行事などは、全くと言ってよいほど伝えられない。。
公用に目が行き勝ちだが、ハレやケの日などに対するおびただしい天皇行為には、触れない。
天皇の位置付けは、皇帝や王ではないのだが、インターネットなどでは明らかに誤解している頓珍漢感覚の意見などを見る。
その一部は、リベラルな学者とか言われる人たちの見方であることが多い。
天皇というお立場を考えると陳腐な見方もある。
これは多くの場合、海外の国王しかイメージできない方々だろう。
今回のお言葉で改めて実感したが、天皇の心や思考を、私たちの考えで推し測ってはなるまい。
平易だが、深い国語力がないと誤解・曲解しそうな方も現れそうだ、
とも感じた。