【病気になり分かってきたこと】虚言症 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私も昔は、いわゆるセコイ嘘をついたことがある。
それは半分家訓であった、素人に手を出すなら覚悟と責任を。
ただし、プロ相手なら徹底的にやりとおせ。

と言ったことではなく、実にセコイ内容だ。

あまりに恥ずかしいことだからつまびらかにはしないが、大学での代弁数回、数百円のキセル1回のような実にセコイことである。
大学では出席日数など無関係に、テストだけできりゃあいいんだろう!と考えていた教科が不合格になった際は、ショックではあったが。
教授に呼び出され出席日数不足を告げられた時に、これは全く言い訳せずにさいですかと降りたことは、子どもだったからか、大人だったからだったからなのやら。

私には孫さんの逸話にあるような、試験に対するこだわりはなかった。

が、そのセコイ嘘が、一時期は人生を左右する重大事になる。

結局、上はだいたいのことを知っていて揺さぶりをかけ、その程度で悩むなら豆腐の角に頭をぶつけて閻魔様に会ってこい!
ある新入生総動員集会のような席で、その方は一般論として来賓挨拶されたが、私には私へのメッセージと受け止めた。

その方には、後日会社を辞めたいと辞表を出した時には、何度か日本に呼び出され、叔父さえ羨ましがる酒に誘われた。

この方は、親戚関係以外では、私のオヤジである。

最初に会ったのは、マジックミラーのある面会室だった。
大きい!
初めてなのに、一瞬でそう思った。

その方とは、会社を辞めてからも世話になっている。
その方の部下には、役員も含めて素晴らしい方々が揃っていた。
常務でさえ気を使っていた方だが、私は彼と電話越しにケンカしたり、言われた申し出を断った。

いやあ、何も知らないバカは、これだからどうしようもない。

新入生に毛の生えたバカ者が、工場長あたりにとっては雲上人と平気で話している。
当時の工場長クラスの方々の、困った顔が思い出される。


が、そうした中で、私はセコイ嘘はつけないように教育されていった。

子どもの頃は、嘘をついたら青竹覚悟が当たり前だったから、元に戻ったとも言える。




社会人になり、相変わらずセコイ嘘をつく輩には、何人かは会ったが、最初は無視できた。

が、元々小者だった私には、空の籠がやたら重く感じられるようになる。


最近は、そうした空籠の重さは無視できるようになっては来ていた。


が、今春早くに、あの病に襲われる。

いやあ、驚いた。
ある時、我慢がきかなくなっている自分に気づいた。

今までなら、何をバカ妄想話をしているの?と笑っていられた記事にさえ、我慢ができなくなる。

考えてコメントすべきところを、即反応してしまう。
相当頭をやられたなと思った。

それまでなら見過ごして相手にしなかったブログにさえ、コメントを入れてしまう。
あまりに知識不足、偏見が激しいと。



病前には分からなかったが、疑問に対して極端な意見を述べる方々のことも少しは理解できてきている。
よくそんな嘘を言えるよと思っていた方々。
今の私は、動物として持っていなければならない、一部能力が欠けている。
前頭葉は分かっていても、その奥にある脳が壊れていて、上手く感情を抑えられない。



これが、逆に動物的能力は生きていて、前頭葉がダメになっていたら……。


そんな患者さんを、何人かみた。

そこには、嘘や悪という感情がないようにも見えた。