確か40年くらい前の今日の午後だったと記憶していたが、2日ほど勘違いしていた。
それは、1978年の6月12日の夕方のことだった。
ライフラインという言葉が全国的になり、気象庁の地震震度の見直し、さらに建築基準法の見直しにつながった、宮城県沖地震のあった日である。
この時の経緯については、すでに記事にしているので、今回は別の視点で記事を書いてみよう。
その後、しばらくは、食事、飲料、電気、ガスなどに不便を感じていたはずだが、この辺の記憶はほとんど消えている。
早めに下宿に帰ると、大家さんの玄関が開かなくなり、手伝ったものの結局ダメで、大家さんから何とか金と力はなけりけりね、と笑われたことを思い出す。
いつも買いに行くタバコ屋がごちゃごちゃになっていたので、通学路途中にある木町の雑貨屋で買おうと相手の顔を見て驚いた。
相手も同時に驚いた。
1年前に唐桑半島を縦走して帰る際、気仙沼から仙台まで同じ電車になり、隣に座っていた方だ。
母ほどの年の方ではなかったが、かなり年上の方だった。
整った顔だちだけでなく、ずっと同じ席だったから、しばらく話をした記憶がある。
その人が、こんなに近くに住んでいたなんて。
偶然に驚いた。
高校生になったばかりの娘さんがいることは、電車の中の話で分かっていた。
なぜか私の最も理解者である親戚のおばさんにも似ていて、年上ながら印象に残っていた。
そのおばさんも、私が誰かに似て見え親近感がわいていたのだろうか。
1年ぶりだと言うのに、お互いが「ああ、あの時の・・・」と声に出していた。
記憶とは面白い。
数十年ぶりに、そのおばさんのことを思い出した。