【親子通信】そして田布施の風魔一族&戸来一族? | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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今日も次男から電話があった。
毎日の電話など、昔なら恋人同士でもまずなかった。
今はスマホ・携帯時代で、アトム時代。これはすごい。


思い出すに、私が父親と電話で話したのは、一生に一度だけだ。

それは、大学入試前夜、ゆっくり休めとの先輩方の宿への訪問に従って、先輩と皆で泡がでる麦茶を飲んでいた時だった。

親から電話、という女中さんの言葉に驚いた。

親父め、へんな力で麦茶は飲み過ぎるなとでもきたかな?と思った。

が、何でもない、明日は試なという話だけだった。
それよりは、田布施論の極めて大きな存在である、下総・日暮さんとの電話回数のが多い。

しかし、田布施論者の主張するような風魔一族の話は出なかった。後に、すごい家柄と周りで話していたのは知ったが。


ちなみにこの方、酒が強い。伊豆に皆で旅行に行った時は、まず飲めときて、あちらに着いた時には部屋で寝るしかなかった。
だから、土肥まで行ったのに、私は恋人岬さえ行っていない。




ついでに書いちゃおう。 日暮さんは私が若い頃の話だ。
が、ナニヤドラ(ヤナドラヤーナ)の戸来さんは、10年前までは実際に会っていた人だ。

が、アラムやヘブライの話にはポカーンとしていた。彼は家に帰って墓を見てくれたが、全くの仏教墓だったし、私の知っているような学者説は、親からも聞いていなかった。

ちなみに、戸来さんとまだほとんど毎日顔を合わせている方からは、父の死を知らずに今年も年賀状が来ている。



話がそれた。

次男が、有り金全てを使って、机と椅子を買ったらしい。

だから、1万にも満たない。


が、今は大金だ。

南なら、1ヶ月の昼飯代。しかし、夕食は1食さえ食えない。
南ではボンボンの館と同じで、飯の食いかたを教えてもらったが、毎日が私の知らないものばかり。

彼のTシャツ1枚で、私の街路仕入れTシャツ 百枚は買えるものを普段着にしていた。

その彼は日本なら小金持ちの仲間だったが、一時は披露宴まで開いたあちゃらの彼女の家とは段違い。

デートは家の船で水上スキーをする相手だった。

彼は、私にはけして彼女の紹介はしなかった。

広辞苑に意味はないが、弟でもあったのに 。



披露宴は私のフランス滞在中に行われ、招待された社長らが小さい国の広大な庭驚いていた。




そんなことを思い出した。