あれは、私が新しい工場に行くことになったころ、日本に戻って来て私の上司になった。
その親は、あの山本五十六の部下だった潜水艦艦長だった可能性がある。
本人の名前は、昔は有名だった首相名に同じだ・
とにかく問題外の人であった。
あちこちに土地があったようで、よく自慢していた。
会社でも扱いに苦労していたようで、後にSPに移動した私は、その問題児の凄さを知っている。
いや、国内にいるときも平気で嘘をつく人もいるのだと感じたのが、彼だった。
組合でも問題児として知られており、組合専任とも付き合いのあった私は、あれを国外に飛ばしてもらうか!という言葉を聞いている。
私が南に移動しやっと彼から解放されたと安心したのに、最期の赴任先となった新工場に彼がやってきて、また私の上司となった。
はっきり言って、ぶち殺したい相手だった。
たぶん当時のSp社長も、マレーの件では苦労したはずだ。
伯父が俺でさえ数分しか遊んでもらえないのに!と驚いた専務とも、なじみの店で数時間を共にした。
その時はっきりとは言わなかったが、専務のある考えはわかった。
まあ、これは墓場まで持っていこう。
私が辞めた理由は、専務やアレの上司だった役員クラスは知っていたろう。
今の会長、当時の社長は、私が辞めると専務が伝えた時にフーーンだったが。