私はここ数十年、模範的な主夫である。
次男は無論、長男さえも、座敷童のしもべたる私しか知らない。
このことは昨夜電話したお方も知らないし、知っても驚きはしないだろうが、世間一般では驚くべきことがある。
柳田先生は、座敷童の専門家として歴史にも載る方だが、あの方の書いたのは南部の南部生まれの座敷童である。
我が家の座敷童は、ハチャトリアン・皿回し専門の、北ではなくずーーーーと南の南部の、南部生まれだ。
その威力の凄さを知っているブロガーさんは、3年前まではほとんど毎日交流のあったあの方と、今も活躍されているソイ40付近のあの方ぐらいだ。
前者の方は、かなりやばいお仕事もバイトをしていた。
リアルにお会いしたブロガーさんは5指程度だが、あのアラッfatさんの奥さんとも会ったことのある、国際ブロガー姐さんは、彼に会いにそこまで行っている(書いても大丈夫だよね)。
そのあと彼は、危ないなという記事を書いて、ここ数年姿が見えない。
米国のお姉さんからも裏回線を通じて問い合わせがあったが、残念ながら未だ連絡が取れていない。
あのような危険なことを書くと、生命にも影響がある。
それを十分に知っていて、書いたのだろう。
実は座敷童は、そのあたりとも多少は関係がある。
私はそれがナンジャらホイの人間だから、座敷童の名誉だか鼻の高さは馬鹿にしか見えない。
後者の方は、今そこのお住まいでバイクスキの威力を感じているかなりの方。
時々コメントを入れているが、かのような方でも、あちら様に名刺があることは知らなかったようだ。
座敷童は、昨日からどっかに行ったらしい。
ネトウヨたる私の首を絞めてから出て行かなかっただけ、相当立派である。
座敷童のことは黙っていようと思ったが、息子たちに、酒さえ飲まず真面目一直線にみえる親父の実態を教えていこう。
また、座敷わらしの意外なる正体も。
実は、大使館員さえ怖がる相手である。
だからと言って、私が怖くて下僕をしているわけではない。
このあたりは、まだ子供には理解が無理かな。
親父やお袋でさえ、想像できない世界だ。
いや、あの親だから理解できない世界もある。
なぜそんな座敷童が、貧乏我が家に舞い込んだのか。
これには数十年を説明に要する。
ぼちぼち書いていこう。
2016-03-22